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上演台本:私有地

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私有地  シリーズ:加害について 中村大地 ○人物と場面 1. コンビニ  A  B Aの友人。 2. 漫画喫茶  C 利用者。  D アルバイト。  E アルバイト、Dの先輩。 3. リビング  F 介護を受けている。Gと夫婦  G Fの介護をしている。 4. 葬儀の帰りに  H 子供がいる。子供はどうやら、留守番しているらしい。  I Hと同じ家に暮らす。  J 車の持ち主。葬儀場まで車で来た。  5. 転居通知  K 施設職員  L 親族  M 子ども 6. ふたたび、コンビニ  N タクシー運転手  O   P Oの友人。 ※注 ・3人の俳優によって演じられることが想定されており、1人の俳優が複数の役を演じる。2019年の上演では下記のように配役したが、組み合わせはこの限りではなく、登場人物の性別も特に指定はない。 渡邉時生 A,E,J,M,N  村岡佳奈 B,D,G,I,K,P 寺田凛  C,F,H,L,O ・様々な場面が描かれるが、基本的には舞台セットはないことを想定している。 ・一人称については、演じる俳優、演出との話し合いの中で適宜変えても良い。 ・テキスト中に同じ人物の発言が連続することがあるが、これはやや文脈が前段からは変わったり、少し間が空いたりする、と言った意味合いで用いている。 1.  コンビニ  深夜。郊外の、駐車場が店舗敷地の倍はあるコンビニエンスストアの外。店に平行にパーキングブロックが並ぶ。店内に人はほとんどおらず、駐車場には乗用車が2台ほど、それからタクシーが1台停まっていて、運転手が座席を後ろに倒して寝ている。Aが店の外で腰掛けている。Bが店内からコンビニ袋をぶら下げて出てくる。 B へい(と袋を渡す)、 A はい、 B コーヒーて、 A うん、   コーヒーを手渡しながら B 寝ない気? A え、 B この時間にコーヒーって、 A あー、あんまり効かないんだよね、 B あ、え、コーヒー? A うん、 B 効かないんだ、 A うん、そう、 B え、 A うん、 B え、 B じゃあ何で飲むの? A え? A 飲みたいから? B あー B わたしあ

舞台を流れる時間についてのこと

あけましておめでとうございます。中村大地です。 あけましてというのももうだいぶ日が経ってしまったか。さて、これが最後の稽古日誌です。今回の作品は予想以上に評判が良かった。評判がいいというか、客席が普段の上演よりも集中して作品に付き合ってくれている、と思える上演が多くて、それはとても良かった。徳永さんをはじめ、様々な方に声の小ささについて言及していただいたので、そのことについて書きます。 深夜にそっと、屋根裏ハイツ『ここは出口ではない』の追記。声の小ささについていくつかツイート(どれも否定的ではない)を目にしたので、昨夜FBに書いたものを少し丁寧に。確かにものすごく小さな声量の、しかもモゴモゴと聞き取りづらい発話で会話から始まるのだけれど、これは完全に、 — 徳永京子 (@k_tokunaga) 2018年12月22日 屋根裏ハイツ『ここは出口ではない』追記②観客が耳を澄まさざるを得ない状況をつくるため。人間は小さな声や光に無意識に集中する。つまりこの話のオープニングそのものが、登場人物が小さな声でモゴモゴ話すのが不自然ではない設定になっている。そしてこのあと実は俳優の声量は少しずつ大きくなる。 — 徳永京子 (@k_tokunaga) 2018年12月22日 屋根裏ハイツ『ここは出口ではない』追記③男が何度もキッチンとリビングを行き来するのは、リビングにいる彼女との会話に、わずかに声を張る必要が出てくるから。というか、わずかに声を張っても不自然ではないから。作・演出の中村大地はこのあとも、俳優の声量が上がっていくことを観客に — 徳永京子 (@k_tokunaga) 2018年12月22日 屋根裏ハイツ『ここは出口ではない』追記④気付かせないシチュエーションを次々とつくり、あの儚い物語の入口にスムーズに、完全に、導き入れるのだ。ふたりが舞台から去り奥のキッチンで会話するのは、おそらく観客の聴力と俳優の(不自然に感じないギリギリの)声量をチューニングし、客席の集中力を — 徳永京子 (@k_tokunaga) 2018年12月22日 屋根裏ハイツ『ここは出口ではない』追記⑤仕上げているのだと思う。これはかなり凄いこと。その微細な声量の変化を、何もしていませんという顔でしてしまう俳優たちも、中村も。本日

5F『ここは出口ではない』お客様の感想

2018年12月に仙台・横浜で上演された『ここは出口ではない』でお客様にご記入いただきました感想のうち、公開可能なものを公開いたします(誤字脱字などはそのまま反映しております)。 どうぞご覧ください。 すごくよかったです やってくれてありがとう 屋根裏っぽい感情の欠らく感がよかったです。ひたすら水の中にもぐっていく感覚。 前半の夫婦のせりふが聞きとりずらかった。会話劇として面白かった 場面の転開が超スローに驚きを禁じえませんでした。間のとり方が超独特でびっくりです。初めての体験となりました。途中、自分ならどう考えてるのかと思ってもみました。貴重な体験となりました。ありがとうございました。 2人の最初に登場したカップルのセリフが聞きとなれなくて、追っていくのが大変でした。ひそひそ話をのぞき見てる感覚という趣旨には合っているのだと思います。 死者、生者、日常・舞台、言語・空想(記憶?)、舞台・客席etc. いろんな境界がとけある、静かで面白い劇でした。 楽しかったです!! おつかれさまでした! それと、チラシかっこいいですね!(語彙力0ですみません) みんなちょっとの違和感があってみんなちょっと馴染んでいる。そんな不思議さが面白かったです。 好きでした。普通に会話に混ざりたかった。 ようちゃんー まだ言葉にならないです さとしゅんとストロングゼロがのみたくなりました。みにきてよかったです。 こんなに共演者と体感の長さが同じだと感じた舞台は始めてだった。死んだ人がまじっているのだから、観客もまざっていいよね、と思った。 不思議とひきこまれました。いろんなこと考えました。言葉?の部分でひとつ残念なのは、途中で入ってきたお兄さんの気配と音でセリフがききとれなかったこと。となりのひとの衣ずれの音できこえなくなる台詞があったこと。どんなところにもそういうひとはいるので避けようにないのですが。 特に印象的なこともないけど何年も覚えている”あのときの宅飲み”みたいなはだざわりが良い。好きです。 ありがとうございました。どうも 今年たくさん知人を亡くしたのでこんなふうにふと会ってもう一度話せたらよいなと思ったし、たあいのない会話が、かけがえのないその人らしさだったりするなあと思った。とても低ーいテンションのなかで、じわーっと感じるものでした。 すご