2016年2月29日月曜日

3F『再開』西和賀滞在記録 2/28

塚本、村岡、加藤、松井
記録:松井

10:00から、演出の中村が京都に行ったので、俳優と演出助手のみでの稽古。語り継ぎの作業をひたすらにやる。

加藤→村岡
松井→加藤
はスムーズに語り継ぎの作業が進んでいて、1時間ほどで語り手のセリフを継ぎ手が覚え、同時に身振りやニュアンスの語り継ぎに入っていった。

しかし、
村岡→松井
の語り継ぎがあまり進まなかった、松井がセリフをなかなか覚えられなかったからだ…。
これは、
・ほかの語りは、松井が仙台に帰っているときに練習していたから、お互いよく聞いていて、セリフが入るのが速かった。
・村岡→松井のテキストは、とても分量があり、引き継ぐ際の聞き手(継ぎ手)の集中力が途切れがち。
・分量があるため、語りを繰り返すことが、語り手にかなりの負担になる。
・村岡は種の語りを創作するときに客席に向かって語っていたので、引き継ぐ際の面と向かっての語りに慣れていなかった。
などが考えられた。明日、明後日と、まだ演出が帰ってくるまで時間はあるので、じっくり時間をかけて覚えようと思う。



また、語り手側に立った時の感想として、何度も繰り返し語りをしていると、持っていたニュアンスが擦り切れて、使い物にならなくなるときがある。そういう時は一度テキストに立ち戻ってみたり、別のイメージで話してみたりするのがよい、ということがわかった。



19時の電車で塚本が一旦仙台に帰った。明日からの2日間は俳優しかいないです!

夜ごはんは、合宿開始からいままで泊めていただいていた、鳳鳴館最後の日だったので、みんなでカレーを作って食べました。演出が仙台から送ってくれたお酒を飲みながら。
とうとう明日からふつうの合宿がはじまって、他の参加団体の方々が西和賀入りします。鳳鳴館ともお別れ。さびしい。


2016年2月28日日曜日

3F『再開』西和賀滞在記録 2/27

中村、塚本、村岡、加藤、松井
記録:加藤




本日は演出中村大地が京都へと旅立ってしまう日。彼は京都で行われている全国学生演劇祭の事務局なのだ、がんばれだいち。
京都へ向け旅立つ中村



午後からはギンガクの企画の「舞台照明講座」へ参加した。東京のスタッフチーム「黒猿」の黒太剛亮さんを呼んでの講座。
機材の説明を受ける参加者


高校の演劇部や北上の市民劇場の方々と一緒に4チームに分かれ、野田秀樹の「農業少女」の冒頭部分を読み、そのシーンにどんな照明を当てるか考えてみる。それででたアイデアを実際に黒太さんが舞台上で再現させるというものだった。

照明の色や角度で影の色の変化を楽しむ

夕暮れの牛を表現する役者たち

下から明かりを当てると若返る


 講座の後はバラしを手伝い、黒太さんたちとご飯を食べにいきました。黒太さんは「スタッフだから人前で喋るのは得意でない、緊張する」と言ってたが、照明の機材の話のときなどはとても饒舌で魅力的だった。マニアックな人がマニアックな話を楽しそうにしているのはそれだけでおもしろい。

 照明は、空の夕陽だとか、居酒屋の席の電灯だとか、日常生活行きていてもインプットのチャンスがたくさんある、と黒太さんは言っていた。これは照明に限らずどんな職業でも当てはまる事だとも思う、役者なんて特にそうだ。今回は「語り」がテーマというのこともあるが、今日のような人の話を聞く時間が非常に良いインプットになっている。


「和賀の四季」の前に飾ってあった雪明り」

湯田牛乳ソフトクリーム
「結ハウス」の前にそびえ立つち○ぽ侍
良い顔してる

伝統的な祭りで使われるワラ人形らしい、ち○ぽ侍ではなかった


2016年2月27日土曜日

3F『再開』西和賀滞在記録 2/26

最近よく当たります。中村大地です。
この日はでも、僕が途中抜けする前の最後の稽古だったので、僕が記入できてよかった。

「語り継ぎ」のプロセスをやり始めたこの日。3人の種がそれぞれ一本ずつ話を次の人に語り継いでいく。
聞き手は当該部分の台本を読んでその話のセリフを覚えてはいけない。聞いて覚える。
考えて実践しているのはいいけど、このプロセス、馬鹿みたいに遠回りだ。
具体的にいうと、こういう感じ。

一つの話は5~10分くらい。
1.まず「種」が2回語り聞かせる。
2.どんなにうろ覚えでも引き継ぐ「聞き手」は2回聞いたら種に向かって語ってみる。話が飛んでも、つまってもいいから、必ず最後まで 語り通す。
3.話し終えたら、次にもう一度「種」に語ってもらう
4.また「聞き手」が種に向かって繰り返す。

語り継ぐ。基本的には立ってやる。そのほうが身体の情報が多くなる。



ほかの人は自分の種を練習したり、聞いたりしている。
「聞き手」は語るとき、できるだけ身振りや、語りから受け取ったニュアンスを自分の語りに乗っけてみる。

この間、種が「どんな気持ちで話していたか」とか、「どういう風に見えた」だとかいう感想の交換は行わない。ただただやってみる。なぜなら「聞き手」の受け取ったニュアンスと、「語り手」の語ったニュアンスにはどうしても相違がある。そこを「間違い」として相違を埋めようとするのではなく、「全部あり」にしたほうが圧倒的に豊かだ。「正しさ」っていうのはそうでなかったほうの可能性のことを多くそぎ落としたもの。

1時間くらいやると大体、一つの話の展開を追って話せるくらいになる。この二週間のときどきで聞いてきたとはいえ、台本でいうと1~2ページのモノローグが話せるようになるのだから意外と効率的だ。声と身体というものの持つ情報量の多さに驚かされずにはおれない。

舞台美術の実験も一回行った。

午後からは町のホームセンターに出かけて舞台美術で使えそうなものを調達する。
面白い効果も見えたが、確定、とまでは至らず、少し試行錯誤をする必要がありそうだ。



この作品はあまり関連性のない短いいくつかのおはなしを束ねて上演することで「作品」とする。
あたりまえだけど、どう束ねるのかでどんな作品にもなる。僕も何も考えてないわけじゃなくて、西和賀に来る前に思いついて考えていたものがあった。
でも稽古を進めるうちに、一つ一つの語りが僕の適用しようとしている構成よりもだいぶ強く、大きく膨らんでいるように思えるようになってきた。
だからこの構成はもう適用できなくて、それとは違う方法を考えなくてはいけない。
そう思えることは、とてもうれしい、とてもプレッシャーのかかることだ。

数日西和賀を離れるその間がそれを考える格好の期間で、そのように利用する。


今これを書いている久々に訪れた仙台の街は、考えられないほどの多くの音が鳴って、騒がしかった。こんなにうるさい街では、やっぱり少し耳をふさがなくては生きていけない。それらすべてを得ようとすれば、疲れて生活をすることが不能になってしまうからだ。
いろいろな情報を捨象するという行為のなかで「語り継ぎ」の純度や密度は落ちてしまう。

こういう原始的な方法を適用できる身体は、都市の機能に適用した身体ではないのだ。

そういうことを肌身に感じた。この感覚は忘れないようにしたい。



この全身全霊で聞く、語るという行為は、めちゃくちゃ疲れる。みんなヘロヘロ。

2016年2月26日金曜日

3F『再開』西和賀滞在記録 2/25

中村、塚本、村岡、加藤、松井
記録:松井

しばらく仙台にもどっていたら、再び西和賀の雪に驚きました。松井です。
2/25の記録です。


10:00~18:00まで銀河ホールでみっちり稽古。種の語りを、各役者と演出の間でブラッシュアップする作業。

僕の作業については、
21日から24日まで仙台に戻っていて、稽古をしていなかったので、久し振りにちゃんと語りをした。なぜか、仙台に戻る前よりも、強いイメージをもって話すことができたような気がする。稽古ができない間、テキストをよく目読することをしていたからかもしれない。
語りの元になるイメージっていうのは、別に画像とか映像ではなくて、もっと複雑な形で頭の中にあるんんだなあと感じた。夢を見るとき、僕の場合は、別に鮮明な映像が頭の中に思い浮かぶわけではなくて、においとか、さわり心地の記憶とごっちゃになって、展開される。それと近いのかもしれない。そのようなイメージをテキストから妄想できた。
語っている時に、自然と身体が動いてしまう、そのことについては面白ければOKだけども、語りのニュアンスが落ちてしまってはいけない。声にニュアンスがなければ、身体だけ出てきても、語りは面白くなくなってしまう。ニュアンスを落とさないようにしつつ、語りのガイドとしての身体や、もっと自然に出てきてしまう身体を待つことにした。

稽古の中盤、森さんらに稽古を見てもらいながら、アドバイスをもらう。今回の座組みなどは特に少人数なので、ずっとその中だけで細かい稽古を進めていると、煮詰まってしまうことや、これは面白いのか…?となることがある。そういう時に、外部から見ている人に感想をもらうのは本当にありがたい。



稽古の間に西和賀FANのインタビューを受けた。作品や取り組んでいることについてインタビューを受ける、ということがあまりないので、受け答えしている演出や村岡を見ると、新鮮に感じた。また、西和賀でそれだけ注目されていることがうれしくもあり、良い上演にしないとなあと思う。



稽古の最後にそれぞれの種の語りを録画する。演出が西和賀を離れる2日間で、この種を引き継ぐ作業をするためだ。
引き継ぎについて、様々な意見が出たが、結局、種の語りをコピーすることを試みる、という方針になった。ただし、完全なコピーは人間である以上できないので、結果として種の語りと引き継いだ語りが別物になることもある、ということを前提としたうえで、コピーにトライしてみた時に、どんな物になるか見てみることにした。



夜、ご飯を食べた後に一日の振り返りをした。それぞれの作業の事、録画した語りについて、美術について、衣装について、など、話すことが多く、今後の作業の方針が見えた振り返りだった。



振り返りの後、岡田利規がBSで自身の演劇論について語っている映像をみんなで観る。僕らがなんとなく分かりかけたかもしれないことを、岡田は10年以上前に、とっくに考えていたー。
これを書いている今、26日の朝、今日は稽古と美術の実験をします。とうとう、本格的な上演に向けての準備が始まった感じがしてます。楽しみです。


2016年2月25日木曜日

3F『再開』西和賀滞在記録 2/24

再び引き当てました。中村です。
今は男部屋のいびきがうるさいです。

それでは本日の稽古記録。
稽古記録を頑張りすぎた結果睡眠時間が削られるという良く分からない事態になっているので今日は簡素を目指します。

マッサージにあえぐ加藤(ほかになかった)


今日は機能できなかった振り返りを朝にして、それから語りの稽古。一日中鳳鳴館におりました。
基本的には演出と1対1で語りの種を膨らませていきます。ここ2日くらいは「伝承」することを頭に入れて考えております。

俳優に方法論を適用できるほど立派なものを持ち合わせているわけでもないし、今回は何せ出演者が少ないので一対一の対話を重ねられる時間がとても長いので、俳優とというか一人一人の身体と向き合っていきながら作っていく。

語りの種の語りにも、それを語るための身体の動きが意図的にあるいは勝手に随伴する。それの根拠というか「なぜそうなるのか?」というところを、俳優ごとに別々の(というか、俳優から出発したのをとりあつかう)アプローチで行っている。
そうしてできた身振りや口調の方が、引き継いだ時になんかいろいろ生まれて面白いだろうと思っているからだ。

午後からは松井君も合流して種を膨らませていく。
西和賀いない間に練習を重ねてきたのかどうなのかわからないけど、とても良くなっていて驚いた。

今日からは「継ぎ」のプロセスにはいる。
そもそも生活スタイルが大きく変わった現代人は意識的に引き継ごうとしないと語りを引き継げない。
また、たった1ヶ月では、おばあさんの昔語りのような継ぎ方はできない。
長い時間の積み重ねがなせる蓄積の方法であって、核家族化した私たちには難しいことだ。

だから、意識的に語りのうちの何を引き継ぐのか?ということに話はなってくる。
それを狙い定めて稽古する必要があるだろうなあ。



2016年2月24日水曜日

3F『再開』西和賀滞在記録 2/23

加藤、中村、村岡
記録:加藤
 西和賀滞在9日目

 9:00〜10:30
 チェルフィッチュ「三月の5日間」のDVDを鑑賞。三人ともこの作品を映像で観るのは初めて、中村はこれの戯曲が大好きで、かなり読み込んでいたらしく、やっと映像が観れたと感動していた。中村曰く、細かい相槌とかも全部台本に忠実で全く同じらし 登場人物は男1とか女2となっていて、自分の話をする訳ではなく、「鈴木さんて言う人が、⚪︎⚪︎したときの話をします」といったように、他人の話を人から聞いたように語っていく。それがだんだんと本人が話しているようになったり、また伝聞調に戻ったりとぐるぐる切り替わって行くのが興味深かった。

10:30〜12:00
 屋根裏ハイツの劇団員、塚本が合流、今回彼女は演出助手として参加する。
 鳳鳴館ファミリーはボケ担当しかいないので塚本にはツッコミ担当を期待していたが、意外と塚本もボケだ、残念。

















12:00〜19:00
 稽古。昨日に引き続きストレッチと筋トレから始める。今日は発声をしたあと、持ちネタの話を喋りながら下半身のトレーニングをするということをやった。僕は「小便から生まれた男の子の話」をしていたのだが、小便小便と叫んでるのが銀河ホールの事務所まで響いていたらしい、恥ずかしい。

 それから村岡加藤の話のタネの強度を高めるための稽古。二人の話の質と、語るときの質が違うため、それぞれに合った方法を模索していく。村岡は祖父の話をしている祖母を思い出しながら話す、加藤は聞き手を楽しませるように話す、ということに意識の重点を置いてやっていこうということになった



19:00〜
合宿期間中、参加者の弁当を手配してくれたり、当日の受付など様々なところでサポートをしてくれるギンガクサポーターの皆様との顔合わせ&作戦会議に出席。ぼくらか作品創作に勤しんでいる裏でいろいろ動き回ってくれているそう、お世話になります!

それから夜ご飯は「やなせ」という中華料理屋さんに行ってきました!中華料理大好きなぼくらは大喜び、しかも24時過ぎまで営業しているそう。いつかお酒を飲みに行きたいです。

やなせの肉キムチ飯

2016年2月23日火曜日

3F『再開』西和賀滞在記録 2/22

加藤、中村、村岡
記録:村岡
西和賀滞在8日目

また回って来てしまいました。村岡です。
前回は長くなってしまったので要所を押さえつつ簡潔に書きたいです。
しかし普段の会話すら簡潔に話せないのでそれは難しいだろうとも思っています。

10:30~17:00
一日置いての稽古。
今日明日は松井がいないので加藤と村岡2人の稽古。
最初にお互いマッサージをしあい、ストレッチ、筋トレ、発声を行った。
筋トレを久しくさぼっていた村岡はこの時点で大分疲弊している

そのあとは、中村が複数枚書いた指令の書かれているくじを引いて、それを遂行しつつ持ちネタのテキストを語るという稽古をした。
最初は加藤が
「言葉を映している(投影している)という状態で語る」
というくじを引いた。
こうなった

その次は「聞き手をおんぶする」(←多分)
というくじを引いた。
かなり視覚的には面白そうなことになっていたが、実際「語り」という面は完全に忘れ去られてしまっていた。

村岡は、
「20年前に戻ったとして」
大分苦戦していた
「30分かけて語る」
という二つのくじを引いた。
30分かけて語った方は、完全に自分の想像の世界を発散することに挑戦したが、その結果起こったことは、観客を危険なポジションにさらす一方、語り手である当人は全くの安全圏に落ち着いてしまったところがあった。
これはこの日の夜に見たDVD(のちに記載)で白石加代子が語っていた、「自分が楽をしてしまうと、お客様も楽してしまう」ということと関係してくると思っていて、自分が楽しているくせにお客様をきつい状況に立たせるということは非常にひどいことだと思った。

どちらにしろ、「語り」という点で言えば、まったくそれは意識されていなかった。

さらに加藤はもう一つの持ちネタを使って
「自分がカメラだとしてやる」←多分
というお題をやった。

今日は小堀さんがずっとホールにいて、作業をされていたが、稽古終わりに稽古に対するフィードバックをしてくださった。
本当に長めの合宿参加できてよかったなあと思う。

稽古のある日は基本的に毎晩フィードバックの時間を設けているのだが、
今日の稽古に関してあがった課題として、

・稽古に当たる際に、(ワークを行う際に)目的を共有したうえで始める方が良い。
→目的が共有されていないと俳優の行動にねらいがでないため稽古をしてもとりとめがなくなる。

・語り手の喪失という部分が今回の作品にはキーとなっているようだ。その喪失という体験をよりショッキングに、大きな出来事にするにはその語り手の話(種)が強くならなくてはばない

・語り継ぐということは、ただ内容を引き継ぐというだけではない。

などが出た。
ちなみに、このフィードバックをする前に、野村萬斎が世田谷パブリックシアターで行っている『MANSAI解体新書』ちう現代芸術の様々な分野を解体するという企画のDVDを見た。
白石加代子がゲストに来て、「俳優(わざをぎ)」をテーマにトークされていた。
このDVDを見て、感想も言い合って、それから稽古の振り返りをした。
白石加代子は足の裏の感覚を大事にしていた。”上虚下実”というような、下半身にいかに力を蓄えるかを大切にしているようだった。

俳優としての土台はどう考えても必要である。
中村の作品では「そのまま」の状態で立ってという言葉が良く出てくるが、、そのまま立っても耐えうる身体を持っているのかというところで、今の状況で「そのまま」立つということはなかなか難しい、なんならできないのではないかと思うことがある。
それでもついつい今の「そのまま」を舞台にあげてしまうものだから、だから「俳優が弱い」と思われてしまうところがあるのではと思う。
だから、「そのまま」の状況で俳優としての土台ができていればいいのだろうなあ、と思っている。
中村の作品こそ、強い俳優が必要だと思う。



日付が変わって今日から演出助手の塚本が来る。
とても待ちわびていたので会えるのが楽しみで仕方がない。
今男性陣はチェルフィッチュの『3月の五日間』を見ている。

今日も稽古です。

2016年2月22日月曜日

3F『再開』西和賀滞在記録 2/21

加藤村岡中村
記録:中村
ルールを定めたくせに遅れてしまった。
まわってこないって自分のFacebook更新したら見事にくじを引き当てました。
なかむらです。
つっても今日は稽古じゃないけれども。日々の記録ということで。

今日から自分の大学の公演の片づけがあって一度仙台へ帰るあゆみ君を見送りに朝6時半に起きてほっとゆだ駅へ。
出発の電車の到着までは間があるが、駅にある温泉に浸かるため少々早く出かける。
西和賀の風呂は入浴料がどこも300円と格安。代わりに貸しタオルが他地域より高かったり、かぎ付きのロッカーの百円玉が帰ってこずに吸い込まれたりはするけど、それは生活の違いだろう。

あゆみ君を見送ったあとはやや時間つぶしをする。
朝ご飯を提供しているような店は無いので、湯夢プラザという観光センターや車中でだらだら。

9時になったら朝飯はもう何度かブログに出てくる格安スーパーオセンで。僕は焼きおにぎりとかまぼこのみそ汁とメンチカツ。他の二人は海鮮丼食べてた。

その後また車中でだらだら。して、今日の目的である「忙中閑」というカフェに行くために沢内へ。

外観取り忘れた


ギンガクの森さんがスゴく推していたのと、珈琲俳優加藤の血が騒ぐからだ。(僕も行きたかったし)

店内には所狭しと習字の書が
チーズケーキ、ティラミスみたいな感じだった。こってりしたのがコーヒーにあうあう。

チーズケーキもコーヒーもチョコレートケーキもとても美味しかった。

珈琲俳優と珈琲マスター

珈琲俳優はコーヒーの淹れ方でマスターと盛り上がっていた。
その後みんなでいろんな話をした。僕ら以外にお客さんもいなかったのでマスターと膝をつきあわせて。

店内には硯や筆や、習字道具一式が置いてあって、せっかくだから何か書いてもらうことにした。
ベタだけどタイトル書いてもらった。かっこいい。


皆書いていくことに。書道なんて久しぶりにした。


習字を立って書く。


「いいでしょ?参加型の喫茶店。」
時間が立つのも忘れて、色々書いて、忙中閑をあとにした。また来たいな。
作品の数々

それから移動してほっとゆだ駅周辺に戻る。旅に来る前から見たいとギンガク委員の方にお願いしていた、ぶどう座の高橋節子さんの昔語りを聞くためだ。夏のギンガクの時のやつがYoutubeにあがっている。

場所はぶどう座の稽古場。50年くらい前からある木造の小劇場。こんな小さな村に70席の小劇場がある。今はあまり使われてないみたいで、積もった雪の上を、踏み固めながら道を作って進む。
到着すれば先に節子さんは稽古場にいらっしゃった。
昔語りは、舞台の上で何度もやってきたものではなくて、小さいころに夜な夜なおばあちゃんに語り聞かせてもらったから、頭の中に入っていて、話しているとそのおばあさんの声が聞こえるのだそうだ。だからか、普段話している時と、その話にはいる時では明らかにモードが違う。例えば低くしたの一点を見つめて話をするのだけれど、それはおばあちゃんが節子さんに語り聞かせていた時の姿勢と同じ姿勢なのだそうだ。
みていてもやっぱり『宿る』という字の如く、大きな過去の時間と接続された身体が目の前にあったと感じることができた。


節子さん、けいじさんとの語らい


それから、ぶどう座の話もしてもらう。ぶどう座の話をすることはまちがいなく地域演劇のことを考えることで、地域演劇史のことを考えることでもある。川村さんの戯曲のことを思うと、僕は石川裕人さんの戯曲とOCT/PASSのことを思わざるを得ないのだった。

さて、昨日の通しをYoutubeにあげて、それを送ったら早速森さんがみてくださったらしい。
ぶどう座から鳳鳴館へもどったところで色々話してもらう。
課題は「これをどうやって『演劇』にするか」だねという話になった。
昔語りは、それが背負っている先人たちの記憶や過去のそのニュアンスは、やっぱり膝と膝つき合わせた身近な距離の中でこそ生まれる。それは物理的な距離のことと考えて相違ないだろう。
劇場はそのさまざまなニュアンスといううまみをそぎ取るのに格好の場所で、とくに銀河ホールみたいな大きさの劇場はそうだと思う。
そこと戦わないで作品を作っていくという術もあるだろうしむしろ僕はそういう風に作品を作ってきたけれど、期せずしてそこと戦うのだから、それは歓迎しなくてはいけない。
時間がある分それも楽しみにできる。
僕は自分の作品は俳優が弱いとよく言われる。なぜかはよくわからなかったが、舞台上に起こる虚構の出来事に応じらる身体が無いからでは?という話にはなんとなく考えることがある。

僕の創作の出発点は、演劇を見るにつれ次第に感じるようになった「演じられる」とかいう思いこみと確信をもって観客を置き去りにしていく演出や俳優の姿への批判というかほとんど嫌悪感であり、それへの反発として「そのまま」の状態で立ってくれ、「からっぽ」であってくれと俳優に求めてきたのだと思う。舞台上で起きる出来事をよく吸えるように、満たすことができるように。
そしてそれはあまり間違っていない。舞台上の偶然に対応できない体は恐ろしいほど貧乏だからだ。
ただどんな「からっぽ」でもいいのかといえばそうではなくて、いいのと悪いのがその中にはあると思う。
「からっぽ」を作るためにはたぶん一度中身をいっぱいにする必要があって、それから空にすればいい。
「からっぽ」の身体はたくさんの脱け殻が積もり積もっているんじゃないかと想像する。
中身を満たすプロセスをできるだけ充足したものにしたい。

今これを書いてる時間は翌日2/22で、1日の稽古を既に終えている。
効率良く効率良くとはいかないが、遅々とやっていく次第である。



2016年2月21日日曜日

3F『再開』西和賀滞在記録 2/20

2/20 中村、村岡、加藤、松井
記録:村岡
西和賀滞在6日目

西和賀はこんなところ

満を持して、劇団員がくじを引きました。
前の2人がなかなか詳細に、良い感じに記録されているので、
なかなかなプレッシャー感じてますが、いい感じに書いていきたいです。

9:30~14:00
昨日に引き続き、鳳鳴館での稽古。

この時間は新しいテキストを3人でひたすら覚えることにした。
一つのテキストを3人で分担して読むタイプのテキストだったので、
3人で一つずつ、村岡→松井、松井→加藤、加藤→村岡という感じで、
語りまわしていった。

最初相手に向かって読んでみたが、ただのテキストの音読だと、
相手にも伝わらないし、自分の頭にも入ってこない。
これはあまり意味がなかったので、
相手を見なくてもよいだろう、
テキストを見ながら、できるだけニュアンスを入れて読んでみた。
格段に伝わる情報量が上がった。

そのあと中村に一度そのテキストを全部読んでもらった。
一人で読むと、一つひとつのテキストの、繰り返す部分が、
後半に従って積み重なっていく感じがあった。
それが面白かった。
3人で語るとしてもその積み重ねられていく感じは出したいと思った。

次に、テキストを覚える作業に移った。
一人でテキストとにらめっこをすると、
前回の悲劇が降りかかる可能性が高い、
ということで、
3人で口伝式に覚えることにした。
たとえば、
テキスト①を松井が担当しているとしたら、
村岡がテキストを読み、
それを聞いた松井が聞いたイメージだけで加藤に語り、
さらに加藤が村岡に語る、
という感じだ。
文字では表しづらいが、これがなかなか画期的だった。
これを3回繰り返すと、大体語れるようになった。

ところが、4つ目のテキストに取り掛かったとき、事件は起こった。
4回回してもテキストが語れない。
これはまたあの悪夢がよみがえったかと思った。

この原因は、おそらく集中力の低下も関係していそうだが、
テキストのカラーが他とは違う、ということも大きく関係しているようだった。
しかしこのときは画期的な打開策は思い浮かばず、
ひとまず保留にして、残りのテキストに取り掛かった。

一通りテキストをさらったら、14:00になったので稽古を終わりにした。

ひとまずテキストを読んだとき

口伝で覚えていたとき

お昼は我らの味方、スーパーオセンに行った。
270円の弁当はほとんど売り切れていたが、
なんせオセンはその他も安い。
おにぎりとお惣菜を買ってもお弁当代に行かないくらいで済ませられた。
仙台にもオセンがほしい。
オセンがほしいから西和賀に住みたい。

オセンを出て、風呂美の人たちが「スヌードワークショップ」を開いていたので、
銀河ホールに行き、挨拶をしてきた。
頼まれていたコロコロを渡す任務も完了した。
ワークショップには今回サポーターとしてお手伝いしてくださる
町のお母さま方が4名参加されていた。
中にはギンガクのブログ(http://gingaku.blogspot.jp/)を
毎日チェックしてくださっている方もいて、
とても温かく応援してくださった。

スヌードワークショップの様子

15:00~16:30
サポーターの皆さんにご挨拶を終え、
そこから1時間銀河ホールで自由時間とした。
図書館に行くもよし、
銀河ホール付近を散歩するもよし、
おのおの自由に過ごし、
その景色を写真に撮ってあとで報告しあうことにした。

私は町を散歩することにした。
ずっと車で移動していたから、町のことはさっぱり分からなかった。
ひとまずほっとゆだ駅を目指して歩いてみた。
橋を渡っていると除雪した雪を積んだ車が目の前を通って行った。
その車は川の上にある道路に着くと、そこから川に向かって雪を下ろしていた。

説明できないので画像を見てください

圧巻だった。それと一種の爽快感があった。
下された雪が、ざざざと雪の坂を下っていき、
下の方までぶつかり撥ねながら落ちていった。
その車はこのあと2回ほどまた同じことをしていた。
これは動画に収めたいと思い、
携帯を構え待っていたら、今度はいつまで経っても来なかった。
惜しかった。

そのあとふらふらしつつ、EXILEを爆音で流す除雪機屋さんを眺めたり、
明治から続いているという商店に立ち寄ってそこのお母さんとお話ししたりした。
短時間ではあったが、なかなか充実した散歩になった。

17:00~19:00
帰宅してから夕飯までの間、また稽古をした。
今日は夕飯の後、一度通してみようということになった。
本気かよと思った。
この2時間は、午前中覚えたテキストをおさらいしたり、
それぞれの持ちネタを練習したりした。

19:00
夕飯。今日の献立はだまっことセリの鍋だった。
つい先日菅原ママとセリが美味しいという話をしたばかりだった。
粋すぎだ。
根っこまでちゃんと入っていた。
根っこの処理が大変だったようだ。
粋だ。

20:30~22:00
ということで通すことにした。
村岡(持ちネタ)→松井
松井(今日のテキスト)→加藤
加藤(持ちネタ)→村岡
村岡(今日のテキスト)→松井
……
という感じで回していった。
結果としては、良かった。ようだ。
今まで面白くなかった話が面白かったり、
今まで面白かった話があんまり面白くなかったり、
いろいろあったが、よどみなく通すことができた。
時間もばっちりだった。
残念なのは、今日話したテキストは本番では全く話さないということだ。

今回の通しでは、テキストが飛んでしまっても、
何が何でも最後まで話すという約束があったのだが、
”飛んでしまう”ということも、一つの現象となっていた。
調子の良い/悪いも一つの現象だった。
だからこの作品には失敗がない。
その代り成功もないようだ。
相手、自分、空間、すべてが作品に影響する。
聞き手と語り手がいる、その空間が作品なのかもしれない。

しかし、果たして今の状態はお客様の注意/注目につなげられるか、と言えば、
それはまだまだ検討が必要そうだった。

今日で合宿1クール目が終了。
明日から松井が一時帰仙をするため、加藤と村岡2人の稽古となる。

その前に、明朝はほっとゆだ駅の温泉に入る。

気が付いたらブログを書きすぎてしまっている。
盛りだくさんな一日だったから仕方がないということで、
これで終わりにします。

ちなみに先日岩手日日新聞に記事が掲載されました。

2016年2月20日土曜日

3F『再開』西和賀滞在記録 2/19

2/19 中村、村岡、加藤、松井
記録:加藤
西和賀滞在5日目



9:00~12:00
 本日は銀河ホールに別の利用が入っていたため、宿泊している鳳鳴館の2Fの座敷を使って稽古をした。
 松井加藤ペア、村岡中村ペアという風に、2人1組にわかれて、相手に話しを聞いてもらい、1時間やったらペアを交代するという形で稽古をした。
 座敷という場所なので話すスタイルもお茶を飲みながら話したり、座布団を重ねて高座のようにしたり、正面で向き合わずにL字になって座ってみたり。
 お互い話してみて、聞いてみた感想、話してみた感想を言い合ってみるといろいろと気づくことがあった。



・話の一番の盛り上がりポイント
聞き手が聞いていて、一番印象に残ったポイントをいうと、語り手にとってもそこが具体的に自分なりのイメージを持って話せている、というケースが多かった。具体的なイメージをもっていればしぐさなどで現さなくても、声色などで自然と聞き手に伝わるということがわかった。逆に言えば語り手が具体的なイメージを持てていない部分は、やはり聞き手にも上手く伝わらない。


・・話の冒頭が入ってきにくい
松井と僕でやっているときに、お互い冒頭が頭に入ってこないという印象をもった。後の方はイメージしやすいが、「最初どんな感じで始まったっけ?」となる。今回のテキストはあえて時代や国などが曖昧に書かれているものが多い、「その時代のイメージと話しの内容を同時に想像しなきゃだから追いつかなくなるのではないか?」と意見がでた。
 民話ではかならず「むかしむかしあるところに」という文句がつく、そういう「曖昧な感じ」を最初に提示することで、聞き手の想像を自由にさせる作用を生んでいるのだ。

・話す姿勢と聞く側の姿勢
中村に対して僕が話をするときに、座布団を重ねて、高いところから話した。その時
話し始めるときにぐっと前のめりになって始めたのが良かったようで、冒頭がよく聞こえてきたそうだ。そのように語り手が、「これから話すぞ」という意思を姿勢などで示すことで、聞き手も聞くモードへの切り替えがうまくいくようだ。
 逆に聞き手の聞き方も重要だ。村岡の話を僕が聞くというときに、まずは日常会話から始め、「○○の話してほしい」という風に語り手に話す動機をつくったことで冒頭から引き込まれるように話すことができた。

共に宿泊している風呂美の高野さんに”語り”を聞いてもらい、緊張する松井




午後からは雪国研究所に行き、小野寺さんという方の話を聞きに行った。
雪国研究所の施設の紹介から、小野寺さんが研究しているかんじきについて、まだ近くで出土する石器の話、師匠である高橋喜平さんとのエピソードを話してくれ。西和賀や沢内村に伝わる民話についての本なども見せてもらった。1を聞いたら100帰ってくるような、知識と好奇心がとても豊富な方で、4時間があっという間にすぎてしまった。


家に帰り菅原ママのマーボ豆腐を食べたあと、菅原ママと晩酌。菅原ママの旅行の話や子供たち、昔の病気の話などを聞かせてもらった。一緒に暮らして5日間、毎晩ごはんを共にしていたが、初めて聞くエピソードがたくさんあるなあと、驚いた。いろいろな体験をしていてもその体験を”語る”にはきっかけが必要なのだ。話を”語る”ときの身体、”聞く”ときの身体についてたくさん気づけた夜だった。