『再開』を仙台へと展開
昨日の午後に西和賀を出て、仙台へと到着しました。 一か月にわたる西和賀での滞在合宿の日々もこれにておしまいおしまいとなりました。 音が隙間なく流れる都市に徐々に身体も慣れつつあるように思います。 一か月、演劇漬け。12日の成果上演では観客投票最下位と、パッと見た形には残らなかったわけですが、それ以上の実りがありました。 それは必ずしも成功とはいかなかった成果上演があったことも大きいです。 そのあとに川口さんや唐仁さんと話せたことも。 これから書くことは別に解決済みのことではないです。後細かく書かないです。 ・演劇の上演におけるテキストの在り方 ・偶然と即興を高めていくための稽古 ・俳優とのやりとりの継続と信頼 ・俳優の持つイメージを共有することと身体への言及 ・観客の存在 などなど、これ以外にもあります。衣装とヴィジュアルの重要性、とか。当たり前だろって思うことを、一歩深い部分で接することができたような気がします。 それは普通にいろんな人が当たり前に気づいていたことなのかもしれないけれど。 この滞在でやろうと思っていた『文語のテキストを語り継ぎで伝え、それを上演する』という行為は、想像以上の多くの課題と問題(恵み)をもたらしたと思います。 僕らだけの滞在ではないことも、また大きかったです。the pillow talk、チューリー座という同世代の作り手と同じ時間稽古をしたこと。福田さんや角田さんの支え。森さんが稽古場に長い時間いてくれたこと、小堀さんの作品を見れたこと、話せたこと。 そして何より風呂美チームと宿まで同じに、日々を過ごせたことは大きな財産であり発見でした。 芸術と違う角度で接している彼らとのやり取りの中でパフォーマンスとは何か、芸術の中の演劇のことを考えざるを得ないことになりました。 仙台で普段生活してても同世代と芸術を考える話す機会なんてほとんど無いから、刺激多くて何より。 おにし、ゆまねえ、たろう、くわもん、はまこ、それから及川君、村上さん、特に最終日の打ち上げでの話はとてもよかった。同世代にたくさん面白い人がいるのがとても嬉しい。 あと一度も見たことのなかったあゆみ君が酔いつぶれたところをこの目に焼き付けられたことが大きな感動でした。 これまでの記録よりも読んでいる方との共有度合い