2018年10月11日木曜日

9/12東京稽古、24仙台稽古

すっかり更新が遅くなってしまった。このままだと先が思いやられる。
二回分の稽古記録を更新する。

12日@東京中村家
東京稽古の二回目は、散歩をしたりはせずに稽古をしてもらった。二回目だっけか、三回目のような気もする。だらだらと話をするという行為は変わらないんだけど、今回はトークテーマにお題が与えられた。「宇宙人に遭遇したとことがあるか?」というテーマ。
宇宙人というのはもちろん比喩で、同じ言語を話していても一向に通じ合わない人に会ったことがあるか?という意味で問うた。
考えている2人から、「外国人クラスには会ったことがあるなあ」という言葉が聞こえてきたりして、いくらか雑談をする。このときの僕は、宇宙人と話をする方法のことを考えていて、できれば宇宙人と話ができたほうがいいのではないかと思っていたのだった。
宇宙人とまではいかないけど、と切り出して俳優がしたねずみ講(的ビジネス)の人にしばらくつきあった話を、いわゆるエチュード的な方法で実際にシーンとして立ち上げてみる。この話を眺めていたときに僕が思ったのは、「こんな人のことは別にわからなくていいな」ということだった・・・
薄々感づいていたような気がするけど、時々こうして考えていることはなんだか道徳の授業のようだなと思う。とっても理想論、的なこと。
誰とでも話す必要はないし、耳をふさぐことは重要な技だったりする。
実際、最近している日雇いのバイトで出くわす、会話はできないし現場も回せない頭の悪いADにたいして僕はよく耳をふさぎながら(もちろん比喩だ)、淡々と現金のことを考えて労働する。その時はまったくもって「こんな時に相手の立場とか思い巡らす必要なんてない」と思っている。会う必要のない宇宙人だっているのかもしれない。

喫煙は駐車場で。車はずいぶん前に廃車してからもうない。


24日@仙台
仙台稽古初日。なかなか仙台稽古は機会が作れないので一日がかりの稽古。前半は散歩をして、後半は稽古場でワークショップ。客演の横山さんの暮らしていた空間を散歩する、ということでプランを考えてもらって、待ち合わせ場所を指定してもらう。「待ち合わせ」という語感に少しわくわくしながら、指定された場所へ。

待ち合わせ場所についたら、2人はもうすでに到着していた。


「とおくはちかい」のときにもやったけど、人とぶらぶら散歩をするのは楽しいし、知っていたはずの町の知らない部分を垣間見ることができる。

いわく「とっておきの通学路」からは、JRの貨物倉庫が両脇に見渡せる。


それから稽古場へ。前回の記事で紹介したワークショップをやってもらう。( https://yaneura-heights.blogspot.com/2018/09/blog-post.html )前回と違うこのはテーマで、「幼い頃の記憶」にした。東京稽古で一緒にやっている佐藤くんと去年の10月に横浜でやったときに扱ったテーマだったりする。
「今日朝から何してたか」というテーマとの違いは記憶の確かさだ。語る出来事を確かに経験した人が目の前にいるとき、あたかも経験したことのように語る側にはある種の緊張感がある。このとき、第三者のフォーカスは、「いかに語るか」という身振りにいく。
「幼い頃の記憶」をやっていて面白いのは、むしろ経験した当人に変化が訪れることだ。記憶は不確かで、正直語っている本人も覚束ないところがある。それがむしろ他者に語られることで、景色が補完されある確かさを手に入れていく。この確かさは信じていいものなのかは、疑う余地があるけれど。つまりに、そんな風に補完されて確からしくなってしまうことが、良いことなのかどうか。
写真の2人は、冷凍庫に何故か大量にあったジンギスカンのことについて話しているんだけど、どちらか一方の記憶を間に放り出し、なんだったか明確な答えもないまま記憶を触り合っている行為(その時間)は、とても良い時間だった。

改めて見ると、なんの写真なのかよくわからない













2018年9月4日火曜日

9月3日

今日は、前回のフィールドワークではなく、演劇のワークショップをやった。僕らがよくやっているワークショップは、端的にいうと「他人が話している話を、あたかも自分が体験したかのように話す」というワークショップで、そこに「体験をした元の人が幾つか質問をする」というルールが加えられる。必然、あたかも自分が体験したかのように話す側は嘘というか、捏造をする必要がある、捏造が破綻するときは「沈黙する」ことも許される。質問が一段落したら、話者を交代する。前作『とおくはちかい』のときにやったワークショップで、その後もかたちを少しずつ変えながらワークショップをする機会があればこすり続けている。

稽古でこれを眺めていて僕が面白いと思うのは、同じ話をしているはずなのに、話す人によって景色の立ち上がり方は違うという、演劇ではごく普通の(同じ戯曲でも演じる人が変われば変わるという)体験をわかりやすく体感できるというところだ。バスのロータリーの話や中華料理屋でお昼ご飯を食べた話、そこで想像されている風景が違えば、言葉の立ち上がり方は違う。彼らの身体やふるまいは異なる。俳優の固有のボディが見えてくるような気がする。

自宅という場で稽古をしているのもあってか、一人の話の時間は長くて、というか、雑談へと脱線していく。俳優同士が今回初対面での稽古なので、必然お互いを知るためにコミュニケーションが重ねられるというところもあると思うんだけど。せいぜい最初のエピソードは3分くらい。それから質問や、質問を含めた雑談がずーっとつづく。当然いつの間にか、自分ではない「誰か」を演じる時間が終わり、自分の話をする時間が始まる。けれども、演じる側は態度としてはその「誰か」であり続けている。そこにはただの雑談とは違うベールがあって、不思議な浮遊感がある。
この雑談を見続けていると、「今、いったい自分は何を見ているのか」と、不思議な心持ちになる。彼らはただ雑談をしているけど、自分ではない誰かを演じている、という前程で見るものは観賞しているけれど演じること自体はもう“失効”している。コレは何なんだろう、という時間ははっきりいって少し退屈だ。でもある意味退屈なこの時間を、更に見続けていると、だんだん面白くなってくる。彼らの身体の状態にチューニングが合ってくる。話が耳に馴染んできて、聞きながら何が別のことを考えたり、周りの風景を見ながらでも聞くことができるようになったり。地べたに座った時の手は、床をこすったり、膝頭を掻いたりしている、時折立ち上がったり、壁によりかかったりする、ということが今更のように発見できる。話と風景と身振りが等価になってゆく。
そこまで見るとはじめて、その人達の身体や、彼らが持っているコンテクスト、文脈が見えてくるような気がする。そのボディにどんな言葉がどんなふうに流れるのかが、想像できるようになってくる気がする。






2018年8月22日水曜日

『ここは出口ではない(仮)』がはじまりました。

『とおくはちかい』のときはなにも更新してなかった稽古日誌を今回はつけようと思っている。
『再開』の稽古日誌が結構面白かったなというか、過去考えていたことのメモとして、時々読み返すために貴重な資料になっていたりして、だからこの記録もそういうもののために、なったらいいんじゃないかという期待も込めつつ。

『再開』のときは日誌担当はその場のじゃんけんで決めてたから、これからそうなっていくかもしれない。それで、8月19日が第一回の稽古。今回の作品はちょっとややこしい作り方をしていて、僕たちいつもややこしい作り方をしているけれど、その説明から。

今回は出演者が4人いて、ウチ2人は東京に住んでいて、ウチ2人は仙台に住んでいる。(ついでにいうと、演出の中村は4月から東京に住んでいる。)
本当は全員揃って全員で稽古を進めていければいいのだけれど、劇団としてはそこまで予算がないし、出演者それぞれに忙しい中、その上でこれまでのように時間をかけて稽古することは考えづらい。なので、11月までは仙台と東京2つの地域に別れて出演者はそれぞれ稽古をし、12月に行われる合同稽古で集合する。演出の中村はどちらの稽古場にも参加する、という形式を採用している。
仙台にて6月末に滞在しおこなったC.T.T.での上演も実はその一環。(というか、その助走?)そして、おとといの稽古が、東京公演の稽古開始日だった。

『稽古』といえど、稽古場(は、中村の自宅なのですが)付近を散歩したり、雑談したりと、ゆるい感じ。
前作の稽古もそういえば村岡に仙台を案内してもらうところから始まって、この日は偶然だったけど僕が僕の地元を案内するところから始まった。

まだ仮タイトルの『ここは出口ではない(仮)』というのは、SNSやマスメディアに代表されるような表層ばかりで攻撃的な言葉や体の有り様よりも、遅効する、時間のかかるコミュニケーションのことを描きたい、その一方で、時間のかかるコミュニケーションが根本的な解決策だ、とは言えないだろう、という予感のことを思ってつけたタイトルだ。

そういえば、この作品はエロい作品にしたいと前々から思っている。
エロいというのはセクシーさのことではないし、性的ということでもない。どちらかといえば、丁寧さや、濃密さと言い換えることができるかもしれない。「もうろうをいきる」というドキュメンタリー映画を見たときに、その手つきのエロさに驚いた。

「もうろうをいきる」
https://www.youtube.com/watch?v=wXCm9k3v9P4

相手に足して体を開き、相手を受け入れようとする振る舞いは、とてもしなやかで、そしてエロい。こういう意味でのエロい作品を作りたいなと思っている。

というところで、ここから数回、東京稽古が続きます。
チケット発売は10月なので、まだまだ先。
楽しみにしてくださる方がいればこれ幸いです。
どうぞよろしくおねがいします。







2017年7月18日火曜日

「とおくはちかい」横浜公演アンケートまとめ

続けて、「とおくはちかい」横浜公演のアンケートまとめを掲載いたします。
横浜は7月7日から7月9日まで4回公演致しました。
仙台公演同様、誤字脱字などはそのまま反映させております。
どうぞご覧ください。

○7/7 19:30~
・台本の世界が見えにくい。
ナチュラルなお芝居とただ声が小さいのはちがうよーな。
とてもむずかしい。やろうとしたことはわかった。
もっと役者さんを生かしてみてほしい。声が小さくてももっと何か引きだせると思います。←アフタートークの方が言葉がいきてるので(40代)

・砂のシーンがキレイでした。もっと長くてもいいと私は思うけれどまあ妥当なのでしょうね。
止まっているもの、置いてきたもの、思い起こされる対話でした。
2幕目、10年後ということがわかるまでにちょっとかかりました。(40代)

・わかるようでわからないような、わからないようでわかるようなまじるようでまじわらない絵の具の気分でした。
「記憶」も何となく感じて、話す事で覚えていること、現実でおきてるはずなのに空白のように忘れていること。聞いている事のはずなのに忘れていたり。
全部空気に消えていく「言葉」とか対話は不必要なようで必要なのかなと。
アフタートークは第2回「とおくはちかい」に見えた。(20代)

・東京人ですが、言い得なさのあの空気感は胸が1kg重くなった感じがしました。(20代)

・大きな物語に(解読できず)ことへのためらいに共感(多分)を覚えました
岡真理の議論が面白いので未読であればぜひ(20代)

・会場に入って舞台美術を見てもうすでに満足した!笑
後方のミニチュアが可愛い。遠近。遠くは近い。
爆発事故の話、話してたのに、2人とも覚えていないのかあ。
ラジオ、私はフィクションなのかなあと思いつつ、震災のことかなあとか広島の原爆あたりの話にも聞こえて、過去のことにも未来のことにも聞こえた。
ゲストの方の今日告別式だったという現実にもびっくり。私も、最近家族を亡くした親友のことを、観ながら考えていた。75分も座ってるのは疲れる…。(20代)

・劇もトークも、とても良かった。また一晩寝て考えてみます。(20代)

○7/8 14:30~
・会話劇というのを見ないのですが、台詞がストレートに客席に来ないので「覗き見するような気分でご覧ください」という言葉が当てはまる気がした。
第一幕と第二幕を比較して第二幕で話をまとめようとしてか、ストレートに届く、訴えたい台詞が目立ったので、劇を意図的に終わらせようとする感覚になった。(20代)

・公演パンフレットでしょうか、このパンフレットを見ないで作品を鑑賞しました。
どんな設定かを事前に知らなくても十分に話しはつかめました。
このパンフレットを見てから鑑賞したら、入り口から違う印象を持っただろうと思います。
パンフレットを見てから作品をみる人とそうでない人がいるのは、作家さんとしては良いのかな?と気になりました。慣例にならえば問題ないですが、そのくらい言葉と拝啓(設定)の手ざわりが細やかな作品だったので、最後に気になりました。(30代)

・横浜公演おめでとうございます!
事象に対する湿度(→いちばん手触りがあったところ)が、手触りとして感じられた。
ドライ(85%)であったり、ウェッテイであったり(15%以下)→いやほとんどない
いろんないみでドライだから火事になるんじゃ…?
有機的なドライさ。→ナッツ→木材
興味の向け方、ベクトルの大きさ、
風向きが微々として(少しずつ?)変化していってそれをかんじとるのも、“手触り”の一つだったかもしれない。
観ているうちに、彼女たちのドライさにシンクロして、この人たちの言ってることに、私あんまり興味関心ないかもーって思いはじめてしまいました。
役に感情移入するだけが“共感”ではないのだな、とあの雰囲気に共鳴したようなかんじでした。これは、新体験かも。女子ってあんまり他人のハナシにキョーミないよね(笑)→これ わかる。
エラソーに書いてすいません。思ったことをつらつら書いてたらこうなりました。残ステも頑張って下さい。
一幕は消火直後のしめりけがのこっていて二幕は乾いていた。あのときのしめりけを思い出そうとしてもなにか、つかみきれないもどかしさを感じた。“手触り”って、いいですね。ありがとうございました。(20代)

・仙台にいると震災の当事者でいることを求められる。
でも意外と当事者じゃなかったりする。
そのギャップがつかれる。
そういう人たちのための演劇だったのかなと思いました。(20代)

・Bがお茶を淹れに行ったり、あんこの缶詰を取りに行ったりする時に、客側がAと同じように一旦息をついているのが面白かったです。
B(村岡さん)の、おぼえていることと、おぼえていないことの感覚は、よく分かるなと思いました。それと、けっこうみんなそう思っているんだなあと思いました。(10代)

・母親の戦時中の記憶のこと、(覚えてない)思い出しました。ありがとうございます(40代)

・あまり震災の事を初めから念頭に置かないで見てみようと思って見始めました。
で、観ていて頭に浮かんだのは、自分が体験した新潟の中越地震でした。もしかしたら、九州の水害を体験した人は、頭の中で自分の体験に寄せて、水害の事を思い浮かべるかもしれませんね。(40代)

・自然でいい意味で演技していないよう
日常の中から普通の会話を切りとったような演技演出で素敵でした!
後ろの「部屋」のレプリカに砂をかける所で砂煙が照明とあいまってスモークのようになっていてキレイでした。(20代)

・前回よりも見やすい展示になってると思いました。
何気ない会話の中で、ちゃんと話が繋がる文脈とそうじゃない文脈が両方あって、自分の中でお話をつなげる楽しみができました。(20代)

・村長さんに会いに来た♡ザ・女子トークというかんじ。気まずさが伝わってきた(20代)

○7/8 19:30~
・なかなか集中出来なかった
小さく感じた
入れているようで入れてない
入れてないようで入れてる
距離感が難しかったです。(40代)

・ある2人の女性の本当に“日常的”なものを描かれたんだなあと思って、見てました。
どこかで展開されてそうな、“ありそうな”感じというか…。
その淡々とした、抑揚のなさに、こだわりを感じました。
また、意外と語ろうとしても、人はその心の全てを語れないんだということを。
そういう切なさのようなものを感じました。
普段、演劇を見にいくとき、激しいものや、エンタメ的なものが多いので、その抑揚のなさについていくのが、途中途中しんどい瞬間がありました。あえて動きを出さない、制約のある感じは好きなので、話してることそのものが、たまに怖かったりとか、何か演出があるといいのかな~と思ったけど、そういうのを削ぎおとしてるんだろうなぁーとか色々考えちゃいました(笑)また次回作も見にいけたらと思います(30代)

・普段忘れて生活していることをちょっとだけ思いだした気がします。でもきっと明日からまた覚えていないフリをして生活するのだと思います。(20代)

・まじめな二人の距離感が遠い会話でした。震災を久しぶりに思いだしました。(仙台在住時に震災経験)(30代)

・今回縁があって屋根裏ハイツさんの舞台を観させていただくことができました。女性2人が淡々と会話する舞台なのに、むしろ取り留めのなさに引き込まれました。アフタートークの開幕はいきなりすぎてビックリしました。ですが、内容は舞台を作る、空気をつくる点で非常に参考になって楽しかったです。(20代)

○7/9 14:30~
・記憶についての様々な(読み取れず)相が舞台上にのせられている劇として見ました。
役者さんの二人のやりとりが誠実でおもしろかったです。(20代)

「とおくはちかい」仙台公演アンケートまとめ②後半戦

お待たせいたしました。
「とおくはちかい」仙台公演のアンケートまとめ後半戦です。
7月1日マチネから7月3日までの5回分です。
どうぞご覧ください!

○7/1 14:30~
・なにげない会話からの始まり方がとても好みでした。日常のなにげないしぐさや話し方、動き、会話に共感できる部分とかぬすみ聞きしてるみたいでにやにやしました。私はアルプス一万尺とかスピードは速さを求める方の小学生でした。会話の節々にももしかしてこういう時のかなっていうのが含まれていて面白かったです。不思議な空間でした。照明、音、装置も好みです。(20代)

・震災後のありそうな日常の様子がふかんで伺えて面白かったです。(30代)

○7/1 19:30~
・やはり、この作品を見ていて、まずは震災を思い出すのだけれど、映画の世界だと2016年は「シン・ゴジラ」「君の名は」という作品が出ていて、どちらかというと、5年くらい経った後に語られる「見方」というのがあるのだろうと感じました。特に、一幕のラジオのところで、火災があんなにもキレイなみたいな表現は、ちょっと「君の名は。」のいん石のシーンを想起してしまいました。
こういう会話劇って、ある意味リアリティとかそういう感情が求められると思うんだけど、劇を見ていたらリアルだなと思うところもあれば、そうじゃないところもあったかな。当たり前だけど、特に最初の家に来るシーンとか、2人はどれくらいの関係性で、どれくらいの間柄なんだろうってつかみにくかったかなと。多分もともと両手で数えるくらいしかあったことなくて、かなり久々の会った感じなんじゃないかなってそう感じました。でも、時間経つにつれて、2人が「あ、これは話題にしていいんだ」っていう空気の共通意識が出来てきたんだなってのは伝わってきました。
実際、仙台とかでも、いわゆる津波被災地で語られる震災の話は違うんですよね。でも、やっぱり今回の話って仙台とか内陸のほうに住んでる人の話だよね、と。ある意味、仙台くらいの人は災害に対するリアリティってそれほど持ち合わせていないんですね。その口振りがすごく伝わってきた。
あと幕間の照明はキレイでしたね。逆光の入れ方がまさに絶好な角度からの照らし方でしたね。砂ぼこりってあんなきれいになるんですね。
ちょっとリアリティの話に戻りますが、2人の関係性によって、そのときのリアリティって変わりますからね。個性によって語られる言葉も違うし、笑ってみたり、おどけてみたり、真面目になったりも違うよね。だからこそ、ある意味エチュードでやったやつだからリアルだし、人によっては(場面によっては)リアルに感じられないとこもありますよね。(20代)
・10-BOX で観ることができたのがラッキーだったなと思いました。
そのとき、一番話したいことをピュアに話そうとすると「会話」自体が機能不全になりそうになるけど、それこそ話して聞く価値のあることな気もして不思議だなあと思います。すてきな作品でした。情報のまとい具合が膨大でしたなあと。(20代)
・空間、沈黙、などの日常から切り取られた、というか日常そのものの空気をじんわりじんわりと感じることができました。(10代)

・○パンフにあった中村さんのコメントを観劇した後によみ、その通りだ、と思いました。
○アフタートークをきけてよかったです。
○きょり感…とても共感できました。見にきて、大変よかったです。
○美術もシンプルかつ、印象的で、“ふかん”でも見ている、自分でも感じるという2重で感じることできました。(30代)

・舞台にないシーンをけいこでやってみるという役作りのしかたは新しく楽しそうだと思いました。
これから自分たちもやってみたいと思います。
かみ合っているようでかみ合っていないような2人の雰囲気がとても好きでした。
おつかれ様でした!(10代)

・普段演劇はほとんど見ないが、今回の公演で演劇のおもしろさ、奥深さを見せつけられた。
考えながら、制作者の意図を考えながら見たのは新鮮だった。(10代)

○7/2 13:00~
・震災後のありそうな日常の様子がふかんで伺えておもしろかったです。(30代)

・普段の会話の風景を通してその中に深い題材があるんですね。私は東日本震災のこの悲劇をくり返さない為に昔の人がお地蔵さんをつくり、神社のようなもの、石ひを立てたことを思い出した。今回も同じことをして、残そうとしたりしている。あと人って、今の人って、「なんか」って言うこと多いんだなって思いました笑私も含めて。もう少し人の顔を客席側に向けてほしかった。それも演出なんですかね・・・すみません。(40代)

・会話ってすごい 舞台装置、演出がとてもきれいでした。(20代)

・パラシュートで未来におりることはできない、という一言が印象的でした。(20代)

・人の会話の手さぐりの向こうで災害の重さが浮かび上がる感じがおもしろかったです。(60代以上)

・いろいろなことをおもいながら、とても面白く見ました。またご案内ください!(20代)

・ふだんの会話がくりひろげられる感が面白かった。震災と重なって、経験者だから語れる身近な表現だなと思った。面白かったです。ありがとうございました。(30代)

・形を与えようのない感情が、時間とその間の思考によって、うすらと輪かくが見えてくるその経過がおもしろかった。砂をマケットにかける表現が、時を感じ美しかった。この家は天井が高くていいな。(30代)

・劇場というとくしゅな空間だったけど、人の女性の対話は、現代の日常会話で、きばつさが一切なかった。演劇ってそれこそ「劇的」なイメージだったのでそれゆえのたいくさもあったように感じた。大火災っていうせっていは現代にあまりないからどうなのかな気にしなくていいし、あえてのいわかんでいいのかなと思いました。

・『再開』のように、小さなちょっとした、エピソードを話してるのは面白いというか、何か良かった。『暗くて』『二十一世紀』も見ているけど、たぶん良かったとは思ってなくて、『再開』とこの作品は良かった気がします。それは、自分の見方考え方が変わったような気もします。(20代)

・見えない部分を想像させる作品でした。来ることができて良かったです。(20代)

・Aさん、幕で「髪きった」と思いびっくりしました笑自分と友人の会話を見ているようでした。お疲れさまでした。ありがとうございました。(20代)

○7/2 18:00~
・居心地の悪い心地良さ(?)を強く感じました。多分これは2段目以上に座っていたら違ったのではないかな、と思った。2人の顔立ちや髪型から連想される性格とは真逆で、下手の方は日本人らしい様なイメージがある(演技を通して)。逆での演技も観てみたい。考察というものは苦手だけれどももう一度観て考え直したい作品でした。
アフタートーク後→震災は体感していないので、風化が進んでいることは非常に感じている。ナッツは時間の経過、は初めは気持ちの重なり、ずれと考えていたので不思議だった。震災を知らない為どうしてもTVの映像が全てで上手い反応ができないなあと…(10代)

・テーマは良かったと思うのだが、いかんせん退屈だと感じてしまう場面が多いしばいであったと思う。それはやっぱり私が関東の人間で、震災について大きな思い出を持っていないからかもしれないが。(20代)

・大沢さんにお声がけしてもらって忘れずにすみました。ありがとうございます。
本人たちにはイミがあっても他人にはどうでも良い日常?
でもそれがスナのようにつもって世界はまわっている
タンタンとして芝居というのも演じていてどうなのでしょう?(50代)

・せんさいにていねいにつくられているように感じました。
話している事柄(?)もしくは出来事(?)もしくは感情(?)なのか、よりかじょうにディテールが役者のセリフとして語られる場面がもう少し必要な気がしました。
「とおくてちかい」or「ちかくてとおい」ということは、いたるところに感じました。そう感じたから必要と思ったのかも。(30代)

・AがBに期待すること(気づかっているところ)、BがAに期待すること(気づかっているところ)
それが伝わるときと、すれちがうときを変に深読みしてしまいました。(20代)

・新しい形の芝居でした。内容は真っ白だったり、あんこ買ったり(水あめ、果物のキンカン)たしかにしてました。前に話したことを又、話してみたり、ある!ある!
アフタートークで内容深まりました。(50代)

・(今日、家をでるのがギリギリになって、高速2時間トばしてきてて、)
イスに座って黙ってる時間が、舞台上の2人も客席側の全員も共通して、あって。今日よけいに「演劇って、こういうことなんだよなあ」とイスに座って黙ってるお客さんも、「みんな生きて(ガンバって)るなあ」と観劇。
音楽素敵。トランペット効いてる。
舞台奥のミニチュアシーン。あれが観終っても尊い。
(砂(?)粒のものをkぶっているミニチュアも尊い)
役者…役者めっさ[超]ナチュラル。
舞台、とくに棒(柱)が良い。
足がテーブルの下で芝居してた。(30代)

・今回はじめて拝見しました。会話だけの演劇、自然であり又不思議な感じでした。
砂をかけるシーン、印象的でありラジオも効果的でした。
色々な演劇の作り方があるなと思いました。(50代)
・とおくはちかい、は とおくはちかかったら良いのに、も
絶えず抱くのかなと 見始める前はもやもやありましたが
からっと風がふいた感じでした…(20代)

・二人だけの世界が思ったより広く感じられた。
客席の雰囲気が、というか、お客さんの自由度が高くなった気がした。どう見るかを委ねられている感じ。
時間と場所で色も違うし、二人の関係性も、明らかに変わっていて面白かった。
ナッツとあんこ、良い効果になっていた。
ラジオの音声がまた、別の場所・時間に飛ばしてくれて。この空間だけでどれだけ広い話なのか。(20代)

・複数人での独白は、お互いの関係性の中で語られるということを考えました。
2人の手記を読んでいるような。人や物事など、自分と色々な物事との距離感はその時々によって変わっていって、私はどんな出来事を「思いださない」という選択をするのだろうと思ったりしていました。
(忘却はあかるいという言葉も含め、何度も思い出すことになる作品だと思いました)(20代)

○7/3 14:30~
・2回見ました。まきたさん側、村岡さん側
間のあいだの顔が見れてよかった。人がとっても良いです
間のあいだの現実あるなあと思いました
横浜行きたい(30代)

・不思議さのぞくっとした感触を感じました。台本があるということ・・・・・(不明)

・自分を認識していない人の話をここまでじっくり聴くことは非日常的でしたが、目の前で行われていることの日常性は非常になまなましく感じました。見ながら、自分の記憶に思いをはせる瞬間、私が取り残している心がないかどうかを考えました。俳優の首と砂ぼこりが美しかったです。(30代)

・柿喰う客みたいに、これの男Ver.も観てみたいと思いました。女の人の、脱線を楽しむ会話とは別の、本質しか語れない男の会話も聞きたいと思いました。(不明)

・客席と舞台の境目がわからないような感じでふしぎでした。砂のところがきれいでした。じぶんの経験と重なるところがあって、もう一度考えたくなりました。(20代)

・このような静かな人しばいを見るのは初めてでした。時々思い出したように話し始めたり、はたまた時々次の話題を探すように黙り込んだり、なんだか二人の関係を見ていてリアルを感じました。(20代)

・良いのか悪いのか分かりませんが、もどかしかったです。体がキンチョウしっぱなしで、息が詰まってました。でも、友だちと話してるとたまにあるなあと思いました。面白かった。とは違いますが、観に来れて本当によかったです。ありがとうございました横浜公演もがんばって下さい ★砂がキレイでした!!!(10代)

・出来事と、人々の関係性、当事者性奇しくも、「安住の地」のテーマと近いものを感じた。のぞき見感、よひ。見えないときの音、よひ。(20代)

・本当に久しぶりに演劇をみました。はじめせりふがよく聞こえなかったこともあり、この人はなんだろうこの場はなんだろうと思いました。そのおもいは最後までありました。もしかして、人は、もうこの世にいないのでしょうか最後までふしぎさが残りました。あの震災がもたらしたことを考えてしまいます。(60代)

・20代の感性なのかなあと☆ ごく日常や記憶にとらわれた時期が自分にもあった。今も、どう物事を想起するか。カコのできごととどう描くかは興味があるものである。が、それを超えていく岡崎京子的感性で生きたい自分は、と。ほかの作品もみてみたいです。(30代)

・直接いいます。あ、でもいい芝居だと思いました。(30代)

2017年7月5日水曜日

「とおくはちかい」仙台公演アンケートまとめ①前半戦

「とおくはちかい」でご記入いただきましたアンケートのうち、公開可能なもののみ公開いたします。誤字脱字などはそのまま反映しております。
ぜひ観劇の際の参考にしてくださいませ。まずは、6/29ソアレから、6/30ソアレの全3回分をどうぞ!


屋根裏ハイツ 4F 「とおくはちかい」
仙台公演アンケート

○6/29  19:30〜
・美術がとても美しかったです。特に木くず?を模型にかけるところはとても見ごたえがありました。ただ、冷房の音らしきものがずっとうううううってなっていて気になってしまいました。みているときは全然違うことを考えたりしちゃったんですけど、みおわったあとに、じわじわとしみこんで、深い味わいを感じることができました。
個人的には、もう少し刺激がほしかったかな、と思いました。お祭りの話とか、もっと抱えている感情をみたかったなと思いました。(20代)

・会場内の温度がとても丁度良くてうれしかったです。(20代)

・「方丈の海」→「埋もれて、白い」→今回っていう影響を受けているような印象の物語。
なんかザラッとしたものはあって、ハイツっぽいなあって思うけど何か、「フツー」って思ってしまっ
て、震災と直に向き合うような作品だからかな、と思うけど。とにかく見ている間、内側での言葉は止
まらないし、身体のギュウ/ギュッてした力の入り方は止まらないし、辛かった気持ち悪くなった。そ
れは震災関連の作品を見た時にいつも起こります。
牧田さんからタキハラさんの匂いがする。オーラ?雰囲気?
あずきを渡す時にとむらいだ!!って見えた 
あずき→震災のことを思い出すもモノを知らない人に渡すことがあった
ミニチュアの舞台に砂をかけた時にミニチュアの舞台がそとばのある墓に見えた。
頭のいい作品だな、とは思ってしまう。牧田さんは賢いなあみたいな気持ち。
とめどなくかいたら恥ずかしくなったので、私がかいてることは忘れてください。
ラジオ聞きとれなかったからもう1回見たいけど時間経ってからじゃないと無理だ。
「なんできたんですか?」被災した人の記憶って新鮮なイメ―ジ。傷としてずっと残ってる言葉/傷。
語ることによって救いになる、いやされる、と聞いたことがある。
「とおくはちかい」私はいまだに震災のできごとが近いせいなのか震災作品を見たり言葉にしたりすると、すごく辛くなる。いまだに。私は。(20代)

・知りたい、話したい、分かりたいとう欲求のない二人の会話は不思議だ。ただ、AとBの関係性(家
に上げるなどの間柄、女同士、同世代)を考えると、成立しがたい会話だ。不思議だ。
アフタートークで「配慮」とあったが、その意図があったのか分かりませんでした。AとBには互い
の姿が見えているのか。一方的なラリーのように見えて、「会話」だったのかどうか、分からなかった。(30代)

・声の“小ささ”が、会場、内容と非常に合っていました。リアリティがあり、自分の(被害をあまり受けていなかった被災地住民としての))感覚と合致するところも大きかったです。
舞台演出と美術が美しく、終始居心地のよい時間を過ごしました。(20代)

・キツネにつままれたとかタヌキにばかされたとかそんな体験はないけれど、してみたいとあこがれることもある。(50代)

・幕が変わる際の砂時計を思わせる時間の経過表現、そして砂にうもれていく過去…そんな印象を受けました。演出に災害の被害者(当事者)とその友人のどこまで立ち入って話して良いのか、一種の遠慮を抱きながら、当たり障りのない話で互いの考えを汲み取ろうとする、静かなテンションが良かった。観た三作品では今作がいちばん好みの作品でした。(40代)

・とても不思議な感覚でした。次に何が起こるのか、まったく想像できず、もしかしたらケンカがはじまるのか、片方が泣き出すのか、そんなハラハラした気持ちで見ていました。一本立った柱が墓標にも見えました。おつかれさまでした。(20代)

・大変面白かったです。その場で自分が話を聞いているような、きき耳を立てているような感覚でした。お疲れ様でした。(20代)

・日常の「言葉にできない感じ」の差異限度は凄いと思ったが、声が小さい舞台が好きじゃないので面白いとは感じない。(20代)

○6/30 14:30〜
・真っ白というのは空っぽではなくてしろと言う色なのですね。(20代)

○6/30 19:30〜
・僕は他人の会話には大して興味が無い人だという事が良くわかりました。(20代)

・内容はよく分かりませんでした。でも、ずっと見ていられました。私もこういう相づちしちゃうなーとか、こういう距離感の友達いるなーとか。椅子とか模型とか手作りですかね?舞台の感じ好きだなーって思います。今日はありがとうございました!
封筒のマーク、これめっちゃかわいいですね!!(20代)

・自分は震災の時のなにを覚えてるっけな、と考えながら見てました。うしろの砂?かぶった小さい部屋がきれいで、二人の話ききながら小さい部屋ずっと見てしまいました。特別なエピソードにはならなくても、こういう日常のなかに忘れられない思い出が語られるのかな、と思いました。(20代)

・ヒトは何のために会話をするのかなあ、とぼんやりと考えながら観させて頂きました。(10代)

・これまでで最も静かな時間が流れていた、と同時に、二人の間によこたわる、どうしようもない時間が、膨れ上がるような。パン生地の呼吸のような。微かな音がとてもおおきく感じ、何気ない仕草の一つひとうが意味深く感じられ、何よりも、言葉を発していない時間が雄弁に語っていたのが印象的でした。(20代)

・不思議な感覚でした。おもしろかったです。なんかこぞばゆくてときどきゾクゾクしました。色々考えて、色々思い出して、何かわかんないけど同じようなこと見たことあるような。抽象的でごめんなさい。おふたりとも可愛いかったです。あと砂の匂いがよかった。(20代)

・賃貸に10年住んでます。10年・・・とちょっと考えてしまいました。わからないけれどわかろうとするやさしさとか、居心地のわるさとかあー、こういうのある。。と共感しつつ。。ミニチュアがすてきと思いながらみてました。(40代)
・まだ消化しきれず、もやもやするのですが、2人の間にふりつもっていく通じ合えない時間とか、共有できない感覚とかが私の中にもふりつもっています。10-BOXで芝居を見るのは実は初めてうれしいです。(20代)

・なんとなくですが、私も会話に参加しているような気持ちになって観ていました。パンのくだり最高でした!しばらくちらついて離れなかったです。ツボです。今までの屋根裏ハイツさんの作品と比べるとだいぶ入りやすい雰囲気で楽しめました。たくさん共感することができた印象です。(20代)

・砂の演出がとてもきれいで印象的でした。それが何を指すのか私にはまだわからないけれど家に帰ってやる宿題みたいなものになりました。女性2人の会話、そうそうこんな感じ(内容、テンポ、空気など)って同性として楽しく見れました。リアリティここまで出せるのは素直にすごいと思いました。おつかれさまでした。明日以降もがんばってください。はさみこみありがとうございました。(20代)

・他人?は人、メディア、周りと風化して当事者?は周り、メディア、人(本人)と風化する感じ。前2つよりわかるし、おもしろく見れた。仕事おわりには眠いが。言い切れなさには種類があると思うが「伝わらない」ことがわかって「やめた」パターンと思った。(20代)

・久しぶりのような、これが最適の時間(期間)であるような友人と会う時、話したいことはいろいろあるはずなのに、考えや言葉が出てこない、まとまらないことがあります。大きな出来事がそれぞれの身の回りという世界で起きており、互いに理解しようとしてもできないこともあります。そもそも無理な話しなのかもしれませんが。空白のようなきょり間がどこかここちよかったように思います。(20代)

・時間と、ちょっと身に覚えのある気憶と、そうしたことを、そういうことに対してどう我が身を処していくのか、というお話だと思いました。「自分に関係ある話し」と私は感じましたが、さて。津波が引くと、細かい砂が残って舞い上がり、私はぜん息の発作が子供の頃以来久しぶりに起こって、病院に運ばれたのを思い出しました。さらさらと隠やかに月日が、流れてくれるといいのに。(30代)




2017年6月17日土曜日

連載:とおくとちかいをかんがえる。①

今回は稽古日誌も特に付けてない。稽古場で共有するのは別に詳細のがあるけど。でも何か書こうと思い勝手に連載をはじめます。隔日更新的なイメージで。

あ。演出の中村です。これは演出ノートの長いやつみたいな、思考過程だだもれ的な読み物です。

まず、この作品「とおくはちかい」は「ある大きな出来事に対する、当事者と傍観者の記憶と忘却の速度の違い」をテーマに据えています。この作品をやるにあたって、きっかけとなった出来事について、話してみたいと思います。(見る人が見たら、なんのことか特定できるとおもいますが、名前とかは伏せます。)


去年仙台で、ある写真家の展覧会のギャラリートークがあって、東京在住の詩人の方とのトークセッションがありました。僕はそれを聞いていました。

写真家の方は東日本大震災によって、津波被害を受けた土地の出身で、被害を受けた自分の町を3.11以前も以後も取り続けていて、その展覧会にはその町の写真も展示されていました。展示はとても印象深く、素晴らしいものでした。

そのトークはもちろんその展示に関することで、東日本大震災に関する言及も少なからずありました。例えばそれは「〇〇さんの写真は震災以降大きく変わった」「そして、ある地点からは、その“混乱”を踏まえ、以前の作風に戻ってきている」というような言葉だったと記憶しています。この言葉を受けて写真家は「うーん、自分はそうは思いませんが……」と反応していました。(すみません、全然違うかもしれません)

ぼく自身はその詩人の方の物言いに、強い違和感を感じます。そのうち、彼の物言いが、写真家に、またこのトークをしている空間全体とは相容れないものとして浮いているような、そんな感覚になりました。終いには、彼自身が、この空間に対する違和感として存在しているような、そんな気さえしてきたのです。途中でそのトークは集中できなくなって離席して、あらためてその展覧会をみることにしたのでした。

このとき、ぼくは別の話を思い出します。たまさか、その写真家が、東京でトークイベントをしたときのこと。ぼくの友人がそれを聞きにいったとき、この正反対の状況になっていた、そうです。震災に関する、その写真家の物言いが、東京のその会場では浮いていたように私には思えた、と友人は言いました。聞いた話なので、そのイベントが実際どういったものだったのかはわからないのですが、そんな空気になることが自分には想像できませんでした。

このことが、しばらくぼくの頭のなかにひっかかっていました。もちろん、地域でそういった線引きをすることはナンセンスだな、とも思います。ある出来事に対してコミットする人としない人がいるというのは、単純に地域だけの問題ではありません。

ただ、その場で感じた空気と違和感について、それからその友人の話について考えてみたい、というのがこの作品に取り掛かる一番はじめのきっかけだったように思います。
だから、今回は仙台ではない地域でも上演したいと思ったのでした。2人の会話劇で、ある地域の観客と、仙台の観客はそれぞれ反対の立場の人物に寄り添って劇を見る…というような反応に差異が出るのではないかなどと安直に思いながら。

そして、舞台上の出演者にも、東日本大震災当時に東京にいた人と、仙台にいた人を実際にあげることで、「大きな出来事に対する人々の距離感の違い」をダイレクトに表すことができるのではないか、そういった狙いがありました。
ました、ということは、このあと当然のように、紆余曲折があります。続きはまた明日にでも。

(つづく)