2015年12月28日月曜日

2Fの板の上に立ったことを振り返る

こんにちは。劇団員の塚本です。
もうすぐ2015年も終わってしまいますね、びっくりですね。

屋根裏ハイツ2F『二十一世紀旗手』は、お陰様で検証企画も含めて終了しました。
スタッフ陣との反省会は年明けですが、明けないうちに振り返っておこうと思います。
一人の俳優の振り返りです。


上演しながら、これは作品単独では完結しない、観客の多大な協力がないと成立できない作品であることをひしひしと感じた。
舞台上の世界はほとんどないようなペラペラな虚構で、在るのは俳優の身体だけで、世界は現実側にしかないように思えて、
けれども作品の中心を現実側に置くことで、舞台上の言葉や行為は、広大な時間や対象を背負える可能性があったように思う。
実際どれくらい背負えていたのかは、わからない。

私は舞台の上では、赤いセーターを着て白いスカートをはいていたナカジマという女の人で、上演の始めと真ん中と最後にトコトコでてきて、1回ずつ喋る。
だから生で発する台詞は計3フレーズ。(映像でもう3回登場するが)
稽古でのダメ出しは、しっかりお客さんに届けてくれ、ほぼそれしか言われなかったきがする。
私はひたすら、お客さんを見て、はっきり発語していた。
小屋入りしてからの稽古であるとき、
ラストの台詞に入っている"私たち"という言葉、その"私たち"にお客さんも含めてくれ
という少し詳細な注文を受けて、それが私の中で最重要ミッションになった。

言葉はいろんなものを内包できる可能性を持っている。
"私たち"には何が含まれているだろうと考えたとき、
わたし自身や共演者たち、観客、かなと思うのだけど、それらを物体や点として捉えながら発語しても威力が足りないようだった。

"私たち"のことについて語るラストの台詞は、そこまでで私たちが過ごした舞台上の80分を含んでいて、
その、舞台上に流れていた時間、つまりお客さんと共有した時間を担保にして、それぞれが今日まで生きてきた時間に接続するみたいな、そういうことができる言葉なんじゃないか

と、初回を上演しながらぼんやり気がついた。

だからラストの台詞を喋るときは
そこまでの上演
自分の生きてきた時間
客席に座る人間が生きてきた時間
と関係を持つ、接続する、あるいはそれらを内包しようとすることで身体、声、空間にテンションを発生させていた。

いつだってパフォーマンスに求められるのは緊張感、それは恐らくテンションのある声、身体なのだろうと思っている。
屋根裏ハイツのこれまでのクリエイションでも、人(観客や俳優)、物、写真、映像、光、音といった知覚されたモノと関係を取ることでテンションを生み出す試みをしてきた。

"時間"と関係を取ることもできるようだ、というのが今回の最大の発見。
そのパフォーマンスが客席からはどんな風に見えてたのだろうか。
演出に今回の演技はどうだったか漠然と聞いてみたら、ああいう言葉を預けられる人だなとは思った、と言われたので
……きっと健闘したということだろう。

上演の最後に「私たちの声もいつしか沈黙へと変わる」
と言ってメンチ切った手前、外でにこやかに話したりする気分になれず、ほとんど客出しはせずに楽屋に引っ込んでいた。
上演後も自分とお客さんの関係をガラッと変えたくなかったのかもしれない。
脚本に登場人物の背景が匂ってくるような描写はほとんどない。
かといって詳細を想像して人物像を作ることも求められていない気がした。
だから、ただ生身の私が舞台の上に立っていたように思う。


ざっと、私にとって2Fはこんな感じでした。
振り返り、終わりにします。

いろいろなことを思い返しつつ、消化しつつ、2016年を待とうかと思います。
皆さま、それぞれに良い年の瀬をお過ごしください。


塚本恵理子

2015年12月15日火曜日

「二十一世紀旗手」上演終了のご挨拶と、検証企画のご案内

おとといの上演終了から2日経ち、無事に公演が終了しました。
1階よりも多くのお客様にご来場いただき、とてもうれしかったです。
本当にありがとうございました。

公演のことを振り返ることをこうやって文章にすることも考えましたが、まだ企画は終わっていません。
18日には検証企画「二階は本当にたったのか?」というものがあります。

公演の映像をスクリーンに上映しながら、劇団員が主導して話題やテーマを提示しますので、キャストやスタッフと混ざって率直なご感想をお話しいただければと思います。

これまでのブログのエントリーで話してきたこと、
例えば「映像と現実の自在な往き来」は実現できたのか?
「言葉と身体を対等に扱うこと」は実現できたのか?
あるいはアンケートの感想から、
「テンポがゆっくり過ぎた」「ちょうど良かった」など、テンポについて。
「モノローグが多すぎた」など、テキストについて。

そういったことが話題として例えば上がってくるかもしれません。
あくまで座談会なので、これといった答えを設けることはなく、その場で話がそれたらそれた方向を話していくのかと思います。

下記詳細です、もしよろしければお越しください。

【場所】 青葉区中央市民センター第三会議室
【時間】 19:00~21:00


それでは劇団員一同お待ちしております。


2015年12月9日水曜日

本番にむけて

今日が小屋入り三日目。

朝から劇場入りし、テクニカルのリハの続きや、合間に稽古をさせてもらって、ガシガシと場面を整理。
今回の作品のもくろみとして最初からあった、「映像と現実空間の自由な往来」および「映像と現実の主従関係の逆転」
といったことを実現するために、スタッフ陣の神経すり減らす作業が続く。
僕はメカはからっきしなのだけど、映像とかを使うと、そのトラブルへの対処ってのが舞台では回収しきれなかったりする、という作品のデザインになりやすいので、なんとも難しい。
前作「暗くてなるものか」の時は、あるシーンの前に塚本が絵具の入ったバケツを盛大に床にこぼすというトラブルがあったんだけど、それによって舞台の空気がとっても良く作用した、ということがあった。
観客としての僕はトラブルによって演劇が豊かになる(Live感が抜群に上がる)ことはとても好きなんだけど、それにはいいトラブル、悪いトラブルっていうのがある。

機械との付き合いの中では悪いほうのトラブルも起こりうるなあと思う、という話。

時生君がTwitterで、「小屋入りすると劇場さん(概念)が作品を整え始める」と言っていたけど、
今僕は「それな」という気持ちでいっぱいだ。(劇場さん(概念)の出現にはスタッフの功労が必須だけど)

さて、今回の作品は、去年作った一階「暗くてなるものか」よりは、屋根裏ハイツとして最初の作品C.T.T.Sendaiでの「紙風船(は聞こえているか?)」に近いと思う。
場面転換のあるのも久しぶりだし、異なるトーンを構成しているという点では太宰の「二十世紀旗手」から着想を得たともいえるかも。
あと、僕の中では「青春」というキーワードが少しあって、それはガスヴァンサントの「Elephant」が着想っていうのが大きい。


少々トラブルにも見舞われて、座組みにもやや不安の色があるが、明日は本番。夜は売り止め。
たくさんの方のご来場をお待ちしております。

2015年12月8日火曜日

Facebookページ作りました

公演まであと2日で、ブログの更新が滞っておりますが 、
屋根裏ハイツのFacebookページを作成しました。
あわせてイベントページも作成したので、そちらだともう少し多い頻度で更新がされています。

Twitterと内容はさほど変わりませんが、
もしよろしければ一度覗いてみてください。

https://www.facebook.com/yaneuraheights/

2015年12月4日金曜日

小屋入り3日目

映像撮影のために入っていた小屋入りも今日で一度バラし。
一昨日昨日で無事に全シーンの撮影を終え、後は映像の川村さんにお任せするという形になる。

映画は結構それなりに好きで、(偏ってはいるけど)むしろ舞台よりも見たい欲求が大きい、みたいな時もあるくらいだけど、映像の撮影というのは初めての体験だった。

今回映像の撮影で改めてびっくりしたのは、カット割りのことと、そこに流れる時間の差異のこと。
たとえば、2人の会話のシーンを、互いの顔が交互に映るようなものになってるとすれば、カメラマンの存在を隠すためにどちらの目線からも一度ずつ別テイクで撮ったりする。
撮影の時は別々の時間であるものが合わさって観客が見るときはひと続きの時間として提示される。

んなこと当たり前なのだが、僕はそのことになんだかとても感動してしまった。

演劇と映画の時間と空間についてのそもそもの違いみたいなことはそのうち考えてみたい。

あとは演技の質も違う。舞台上での動きとして面白いものも、映像で見るとそうでも無い。
変えが利かない。もう撮影が終わったので、これ以上いい演技を出すことはできない。撮影の現場で一度答えを出さなければならないのは、あまり結論を出したがらない僕にとってはなかなかチャレンジだった。


あるシーンの撮影で壁にぶちあたった時に、舞監の助言をもらって解決することも。澤野さんは演出家だし、出来事への動機付けや理屈付けと言った整理が上手い。(ものは散らかすけど)
だからかアドバイスも的確でとても頼りになる。

音響照明映像舞監、それから今回は美術に専念してる翔子さんも、その力を存分に借りて作品を作れている感覚は今までには無かった感じ(というか、今までよりもはっきりと感じられる)で、とっても頼もしい。
自分もスタッフ出身なので、今までこんなに作品に貢献できていたのか?という自分の働きのことも少しよぎった。

バラシがスムーズに進み、少しすっきりした舞台上で2時間ほど後半の稽古。要素過剰だったことをシンプルに削いでいくことでアタリをつけていく。
今日は組んだトラスをバラして、残り時間で稽古をして、一度小屋からは退散する。
土日はどちらも1日稽古。
大事に取り組みたい。






2015年12月1日火曜日

小屋入り初日

今日が小屋入り初日。
本番まで割と日があるな、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、今回の作品で必要な映像の撮影があって、早めに仕込みを始めている。
なんなら一回バラシて小屋を出る。(お金がないから)

去年はずいぶん小屋入り中忙しいな、なんて思っていたけどそれは自分が音響も兼ねて仕込みとかガシガシやってたからで、今年はスタッフさんたちがどんどん舞台を作っていってくれる。

演出としては自分があずかり知らぬところでどんどん組み立っていく現場って初めてで、僕も1人の増員として、あくせく指示を聞いて働いているのが面白い。
午前中の仕込みには人員として加わっていたけれど、午後からは甘えさせてもらって、明日以降の演出のことを考えたり、この期に及んで台本を直したりしている。

ご飯はこの公演の稽古期間ですっかりケータリング番長になった三澤君が作ってくれたものを食べ、隆が入れてくれたコーヒーを飲む。2人がいなければきっと弁当買って自販機のコーヒーで食べて飲んでたと思うので、めちゃくちゃありがたい。

というか、ここ数日の稽古が10-BOXを離れていたこともあり、久しぶりの10-BOXがびっくりするくらい快適、

これで地下鉄も通るんだから、ほんとにすばらしい施設だ。
地下鉄開通後の最初の10-BOXでの演劇公演、ぜひお越しください。


話は変わって、この間の河北新報の朝刊に記事を取り上げていただいた。



正直に言って、なんか違う感がすごい。見出しも含めて特定の方向に煽り気味だし、なんかとっても政治劇みたいでなんだか…
見た人に伝わる感じとは絶対違うと思う。
これだけ短いあれだからまあ、しょうがないけど、ちゃんとしたことはもし良かったらこの作品について書いた記事が前のエントリであるので読んでみてください。

明日は映像撮影。長丁場だから気を引き締めていきたい。