2015年12月28日月曜日

2Fの板の上に立ったことを振り返る

こんにちは。劇団員の塚本です。
もうすぐ2015年も終わってしまいますね、びっくりですね。

屋根裏ハイツ2F『二十一世紀旗手』は、お陰様で検証企画も含めて終了しました。
スタッフ陣との反省会は年明けですが、明けないうちに振り返っておこうと思います。
一人の俳優の振り返りです。


上演しながら、これは作品単独では完結しない、観客の多大な協力がないと成立できない作品であることをひしひしと感じた。
舞台上の世界はほとんどないようなペラペラな虚構で、在るのは俳優の身体だけで、世界は現実側にしかないように思えて、
けれども作品の中心を現実側に置くことで、舞台上の言葉や行為は、広大な時間や対象を背負える可能性があったように思う。
実際どれくらい背負えていたのかは、わからない。

私は舞台の上では、赤いセーターを着て白いスカートをはいていたナカジマという女の人で、上演の始めと真ん中と最後にトコトコでてきて、1回ずつ喋る。
だから生で発する台詞は計3フレーズ。(映像でもう3回登場するが)
稽古でのダメ出しは、しっかりお客さんに届けてくれ、ほぼそれしか言われなかったきがする。
私はひたすら、お客さんを見て、はっきり発語していた。
小屋入りしてからの稽古であるとき、
ラストの台詞に入っている"私たち"という言葉、その"私たち"にお客さんも含めてくれ
という少し詳細な注文を受けて、それが私の中で最重要ミッションになった。

言葉はいろんなものを内包できる可能性を持っている。
"私たち"には何が含まれているだろうと考えたとき、
わたし自身や共演者たち、観客、かなと思うのだけど、それらを物体や点として捉えながら発語しても威力が足りないようだった。

"私たち"のことについて語るラストの台詞は、そこまでで私たちが過ごした舞台上の80分を含んでいて、
その、舞台上に流れていた時間、つまりお客さんと共有した時間を担保にして、それぞれが今日まで生きてきた時間に接続するみたいな、そういうことができる言葉なんじゃないか

と、初回を上演しながらぼんやり気がついた。

だからラストの台詞を喋るときは
そこまでの上演
自分の生きてきた時間
客席に座る人間が生きてきた時間
と関係を持つ、接続する、あるいはそれらを内包しようとすることで身体、声、空間にテンションを発生させていた。

いつだってパフォーマンスに求められるのは緊張感、それは恐らくテンションのある声、身体なのだろうと思っている。
屋根裏ハイツのこれまでのクリエイションでも、人(観客や俳優)、物、写真、映像、光、音といった知覚されたモノと関係を取ることでテンションを生み出す試みをしてきた。

"時間"と関係を取ることもできるようだ、というのが今回の最大の発見。
そのパフォーマンスが客席からはどんな風に見えてたのだろうか。
演出に今回の演技はどうだったか漠然と聞いてみたら、ああいう言葉を預けられる人だなとは思った、と言われたので
……きっと健闘したということだろう。

上演の最後に「私たちの声もいつしか沈黙へと変わる」
と言ってメンチ切った手前、外でにこやかに話したりする気分になれず、ほとんど客出しはせずに楽屋に引っ込んでいた。
上演後も自分とお客さんの関係をガラッと変えたくなかったのかもしれない。
脚本に登場人物の背景が匂ってくるような描写はほとんどない。
かといって詳細を想像して人物像を作ることも求められていない気がした。
だから、ただ生身の私が舞台の上に立っていたように思う。


ざっと、私にとって2Fはこんな感じでした。
振り返り、終わりにします。

いろいろなことを思い返しつつ、消化しつつ、2016年を待とうかと思います。
皆さま、それぞれに良い年の瀬をお過ごしください。


塚本恵理子

2015年12月15日火曜日

「二十一世紀旗手」上演終了のご挨拶と、検証企画のご案内

おとといの上演終了から2日経ち、無事に公演が終了しました。
1階よりも多くのお客様にご来場いただき、とてもうれしかったです。
本当にありがとうございました。

公演のことを振り返ることをこうやって文章にすることも考えましたが、まだ企画は終わっていません。
18日には検証企画「二階は本当にたったのか?」というものがあります。

公演の映像をスクリーンに上映しながら、劇団員が主導して話題やテーマを提示しますので、キャストやスタッフと混ざって率直なご感想をお話しいただければと思います。

これまでのブログのエントリーで話してきたこと、
例えば「映像と現実の自在な往き来」は実現できたのか?
「言葉と身体を対等に扱うこと」は実現できたのか?
あるいはアンケートの感想から、
「テンポがゆっくり過ぎた」「ちょうど良かった」など、テンポについて。
「モノローグが多すぎた」など、テキストについて。

そういったことが話題として例えば上がってくるかもしれません。
あくまで座談会なので、これといった答えを設けることはなく、その場で話がそれたらそれた方向を話していくのかと思います。

下記詳細です、もしよろしければお越しください。

【場所】 青葉区中央市民センター第三会議室
【時間】 19:00~21:00


それでは劇団員一同お待ちしております。


2015年12月9日水曜日

本番にむけて

今日が小屋入り三日目。

朝から劇場入りし、テクニカルのリハの続きや、合間に稽古をさせてもらって、ガシガシと場面を整理。
今回の作品のもくろみとして最初からあった、「映像と現実空間の自由な往来」および「映像と現実の主従関係の逆転」
といったことを実現するために、スタッフ陣の神経すり減らす作業が続く。
僕はメカはからっきしなのだけど、映像とかを使うと、そのトラブルへの対処ってのが舞台では回収しきれなかったりする、という作品のデザインになりやすいので、なんとも難しい。
前作「暗くてなるものか」の時は、あるシーンの前に塚本が絵具の入ったバケツを盛大に床にこぼすというトラブルがあったんだけど、それによって舞台の空気がとっても良く作用した、ということがあった。
観客としての僕はトラブルによって演劇が豊かになる(Live感が抜群に上がる)ことはとても好きなんだけど、それにはいいトラブル、悪いトラブルっていうのがある。

機械との付き合いの中では悪いほうのトラブルも起こりうるなあと思う、という話。

時生君がTwitterで、「小屋入りすると劇場さん(概念)が作品を整え始める」と言っていたけど、
今僕は「それな」という気持ちでいっぱいだ。(劇場さん(概念)の出現にはスタッフの功労が必須だけど)

さて、今回の作品は、去年作った一階「暗くてなるものか」よりは、屋根裏ハイツとして最初の作品C.T.T.Sendaiでの「紙風船(は聞こえているか?)」に近いと思う。
場面転換のあるのも久しぶりだし、異なるトーンを構成しているという点では太宰の「二十世紀旗手」から着想を得たともいえるかも。
あと、僕の中では「青春」というキーワードが少しあって、それはガスヴァンサントの「Elephant」が着想っていうのが大きい。


少々トラブルにも見舞われて、座組みにもやや不安の色があるが、明日は本番。夜は売り止め。
たくさんの方のご来場をお待ちしております。

2015年12月8日火曜日

Facebookページ作りました

公演まであと2日で、ブログの更新が滞っておりますが 、
屋根裏ハイツのFacebookページを作成しました。
あわせてイベントページも作成したので、そちらだともう少し多い頻度で更新がされています。

Twitterと内容はさほど変わりませんが、
もしよろしければ一度覗いてみてください。

https://www.facebook.com/yaneuraheights/

2015年12月4日金曜日

小屋入り3日目

映像撮影のために入っていた小屋入りも今日で一度バラし。
一昨日昨日で無事に全シーンの撮影を終え、後は映像の川村さんにお任せするという形になる。

映画は結構それなりに好きで、(偏ってはいるけど)むしろ舞台よりも見たい欲求が大きい、みたいな時もあるくらいだけど、映像の撮影というのは初めての体験だった。

今回映像の撮影で改めてびっくりしたのは、カット割りのことと、そこに流れる時間の差異のこと。
たとえば、2人の会話のシーンを、互いの顔が交互に映るようなものになってるとすれば、カメラマンの存在を隠すためにどちらの目線からも一度ずつ別テイクで撮ったりする。
撮影の時は別々の時間であるものが合わさって観客が見るときはひと続きの時間として提示される。

んなこと当たり前なのだが、僕はそのことになんだかとても感動してしまった。

演劇と映画の時間と空間についてのそもそもの違いみたいなことはそのうち考えてみたい。

あとは演技の質も違う。舞台上での動きとして面白いものも、映像で見るとそうでも無い。
変えが利かない。もう撮影が終わったので、これ以上いい演技を出すことはできない。撮影の現場で一度答えを出さなければならないのは、あまり結論を出したがらない僕にとってはなかなかチャレンジだった。


あるシーンの撮影で壁にぶちあたった時に、舞監の助言をもらって解決することも。澤野さんは演出家だし、出来事への動機付けや理屈付けと言った整理が上手い。(ものは散らかすけど)
だからかアドバイスも的確でとても頼りになる。

音響照明映像舞監、それから今回は美術に専念してる翔子さんも、その力を存分に借りて作品を作れている感覚は今までには無かった感じ(というか、今までよりもはっきりと感じられる)で、とっても頼もしい。
自分もスタッフ出身なので、今までこんなに作品に貢献できていたのか?という自分の働きのことも少しよぎった。

バラシがスムーズに進み、少しすっきりした舞台上で2時間ほど後半の稽古。要素過剰だったことをシンプルに削いでいくことでアタリをつけていく。
今日は組んだトラスをバラして、残り時間で稽古をして、一度小屋からは退散する。
土日はどちらも1日稽古。
大事に取り組みたい。






2015年12月1日火曜日

小屋入り初日

今日が小屋入り初日。
本番まで割と日があるな、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、今回の作品で必要な映像の撮影があって、早めに仕込みを始めている。
なんなら一回バラシて小屋を出る。(お金がないから)

去年はずいぶん小屋入り中忙しいな、なんて思っていたけどそれは自分が音響も兼ねて仕込みとかガシガシやってたからで、今年はスタッフさんたちがどんどん舞台を作っていってくれる。

演出としては自分があずかり知らぬところでどんどん組み立っていく現場って初めてで、僕も1人の増員として、あくせく指示を聞いて働いているのが面白い。
午前中の仕込みには人員として加わっていたけれど、午後からは甘えさせてもらって、明日以降の演出のことを考えたり、この期に及んで台本を直したりしている。

ご飯はこの公演の稽古期間ですっかりケータリング番長になった三澤君が作ってくれたものを食べ、隆が入れてくれたコーヒーを飲む。2人がいなければきっと弁当買って自販機のコーヒーで食べて飲んでたと思うので、めちゃくちゃありがたい。

というか、ここ数日の稽古が10-BOXを離れていたこともあり、久しぶりの10-BOXがびっくりするくらい快適、

これで地下鉄も通るんだから、ほんとにすばらしい施設だ。
地下鉄開通後の最初の10-BOXでの演劇公演、ぜひお越しください。


話は変わって、この間の河北新報の朝刊に記事を取り上げていただいた。



正直に言って、なんか違う感がすごい。見出しも含めて特定の方向に煽り気味だし、なんかとっても政治劇みたいでなんだか…
見た人に伝わる感じとは絶対違うと思う。
これだけ短いあれだからまあ、しょうがないけど、ちゃんとしたことはもし良かったらこの作品について書いた記事が前のエントリであるので読んでみてください。

明日は映像撮影。長丁場だから気を引き締めていきたい。





2015年11月25日水曜日

【お知らせ】地下鉄東西線開通に伴う市営バスの乗り場・時刻等の変更について

先日、Twitter上でお知らせしましたが 、
12月6日の地下鉄東西線開通に合わせて、仙台市営バスの路線・のりば・時刻等に変更があります。
ただいま配布されている『二十一世紀旗手』のフライヤーに載っている情報は古いものとなってしまいますのでご注意下さい。 
変更後は以下のようになります。 

【市営バス】
仙台駅前5番バスのりばより(所要時間約15分)
●卸町二丁目経由 志波町・霞の目営業所 行
→「卸町二丁目」下車(10-BOX・能-BOXまで徒歩約7分)
  
仙台駅前50番バスのりばより(所要時間約25分)
●花京院・国立病院・卸町会館経由 小鶴新田駅 行
→「卸町三丁目・能-BOX前」下車(能-BOX前)
→「卸町10-BOX前」下車(10-BOXまで徒歩約3分)

【市営地下鉄】
東西線 仙台駅より(所要時間約9分)
→卸町駅 下車(「北1」出口より、10-BOX・能-BOXまでそれぞれ徒歩約10分)

http://www.gekito.jp/?pg=1447916402

2015年11月24日火曜日

二十世紀少年じゃなくて

・大変ご無沙汰してしまった。毎日更新すると言っていたくせに。自宅にネット環境が無いのが一つ大きいというのはあるのだけど。気が付けば本番まで2週間。小屋入りまでに稽古はあと数えるほどしかない。

 ・台本は無事に脱稿し、多少修正はこれからも加わるかもしれないけれども、後は答えを稽古場で出すしかない。明確でシンプルなこと。

 ・はじめて一緒にやる役者がほとんどで、人数も多いというのもあって(その割に一度にたくさんの人が舞台にいることはないということもあって)稽古のやりくりの大変さとかを久しぶりに味わっている。ああ、こういうんだったっけ。一回の稽古が終ると頭がキリキリとしてしまう。

 ・かかわっている俳優やスタッフが別作品の本番だったり、あるいは地下鉄東西線のイベントに屋根裏ハイツで参加したりってことがあって、ここ三日ほどは稽古が無かった。 それで、今日が久しぶりの稽古。この連休は僕も東北大やシアターラボの芝居を見たり、大学に入って以来の友人と話したりする時間も会った。

 ・今日いつも以上にとりとめもなく書くので、ご容赦ください。そうしないでこの作品のことを書くのが難しいというのもある。


 ・このブログでは作品のことをしっかり話したことがそういえばなかったから、まずそのことを話すことを試みようと思う。 あらすじにあること以上のことを話す。多分これを読んだって舞台を実際に見てもらうことには支障にはならないと思うけど、気になる人は読まないでください。
あとまあこれを見て引っかかってくれる人がいればいいな、とも思う。
 「二十一世紀旗手」というタイトル、よく浦沢直樹と関係あるのかって言われるけれど、「二十世紀少年」じゃなくてタイトルの元ネタは太宰治の「二十世紀旗手」だ。 簡単にいえば「二十世紀旗手」はお金と才能の話で、才能を否定された、昔好きだった女性のところに金を借りにいき、けれどもやっぱり金を返すという、瑣末を、「小説を書いている私」が「書いている」という体で紡がれる話で(太宰には他の作品にも「全然小説が書けないよ・・・」ということを「書いている」小説があるような気がする)、まあそんな自分を「二十世紀旗手」とでもいっちょ呼んでやろう、という風に太宰は考えたんじゃないかと僕は勝手に思っている。
副題には有名な「生まれて、すみません」という文句が書かれている。 同じタイトルで短編集が出されていて、それは「晩年」に続く太宰2作目の作品集となる。 この短編集はかなり支離滅裂なものが多く、「女生徒」や「走れメロス」を書いたのと同じ人間が描いたとは到底思えない。 

話はそれたが、事実上の徴兵制から逃げるために自分たちのための王国を作る若者たち(の行為)のことを、それじゃあいっちょ「二十一世紀の旗手」と呼んでみようという気持ちから、こんなタイトルが付いた。

 ・もうひとつ、Gus Van Santに「Elephant」という作品がある。 コロンバイン高校銃乱射事件という実際の事件をモチーフに、その事件が起こる日の朝の日のことを、数多くの高校生の視点から描いた作品で、なんか確かいくつか賞も取っている作品だと思う。その手法はAlan Clarkeが作った同名のBBCのドキュメンタリ番組から拝借してて、最近だと「桐島、部活やめるってよ」がなんかそれのオマージュっぽい手法をとっている。 
桐島以外はYoutubeから見られます。

あらすじからだけだとわからないけれど、このElephantに少なからず感化されて、今度の新作「二十一世紀旗手」は作られる。
王国の「とある一日」のことを、もっといえば、王国へ新しい移住者が来るその日のことを、映像や音や光や、もちろん身体と言葉を使って、2つの視点から描こうという、そういう試みをしている作品である。



 ・事実上の徴兵制から逃れるために自ら『王国』をつくる、ということで抵抗しようとする若者たちの未来の話、というアイディアは2012年くらいからあったもので、当時の僕は、このアイディアはありなんじゃないかと思っていた。具体的にそれが生き残るための方法だとも思っていた。

当時、ということは今はそうでもないということだ。


 ・この作品の創作期間中には世の中でいろんなことがあった。今も起きていて、それは、そんなことはご存じの通りだと思うんですけど、そのすべてを通過した作品にはなっているし、なってしまったし、ならざるをえないのだろうと思う。
そういう方向に向かってしまうことを僕はとめようとも、やめようとも思わない。

・ そういったことを経過して、この作品は、責任と、(自由な)選択についての作品になっている。 磨き上げる方向はもうある。あとはひたすら、稽古場で起こる諸現象に目を凝らし、耳をすませていくしかない。


・ 28日は公開リハーサルが大和コミュニティセンターというところである。 市民センターの会議室なのでいろいろ条件が違うけれど、まずはそこで作品に立ち会ってもらえればと思う。 

本番は12月10日~13日まで。各日2回ずつ。10日と12日のソアレにはアフタートーク。 たくさんの人に立ち会ってほしいと心から思っています。ご予約お待ちしています。

http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=53396


 中村大地

2015年11月17日火曜日

11月28日(土)公開リハーサル実施のお知らせ

12月10日からの公演『二十一世紀旗手』の稽古場を解放し、公開リハーサルを行います。
18時からは通し稽古をする予定です。
ぜひ、屋根裏ハイツの演劇創作の現場をご覧ください!

日時
11月28日(土)18:00〜21:30(途中入退場自由

入場無料

参加希望の方は「氏名、人数」を明記して、
劇団メールアドレス(yaneura.heights@gmail.com)までお知らせ下さい。

場所
大和コミュニティセンター

2015年11月5日木曜日

通奏低音の部分を

今日も稽古が終わり。
細かいシーンの返しをやっているのは、割と普通の演劇の稽古だと思うのだけど、通しをするとそこに通底するムードみたいなのが加わって、筋が途端に通ったりする。
そこにどれくらい余剰部分を預けるか、みたいなことをぼんやりと考えていて、その余剰、通底するムードを今回はかなり残しておきたい。

たくさんの余剰が俳優に伝わった時にとても良い化学変化が起きるような畑を丁寧に耕して作れば、芽は出るし花は咲く。
その接続できる部分をたくさん余らせておきたいと思う。


2015年11月3日火曜日

11/3 稽古

今日から毎日更新します。
ちょっとケータイで打つのでメモ文になるかも、ですが。

ケータイだと全体を俯瞰して文章作れないから苦手です。

集中稽古を開始して早2週間。遅々とではありますが稽古は進んでいます。

身体と言葉の拮抗というのが、今回の俳優陣のテーマでありつつ、それと、中身もだんだん符合してきたように思います。
3年前はさながら平田オリザばりの会話劇を書いていた、それに「二十一世紀旗手」という名前をつけていたのだけれど、この作品を大きく転換したのには台本が古びてしまったというのがあります。
虚構が現実と同じ距離で同じようなことを言ってもしらけるだけだしつまんないから、ある程度虚構ならば、現実を何か新しい形で切り取ったりしないと無意味だと思いますし。
ま、別に今まで発表してるわけじゃないから、変えたなんて言ったってしょうがないんだけど。

細かいことをネチネチやってる稽古をしながら、それで作るのが振り付けや言い方じゃなくて、動くためや話すための土台でしかない状態になったら良いんだけども。

その土台をどう拵えるかというのが、永劫の課題で、稽古は続きます…

でも、どうなんだろう、これ、面白くなると思うんだけど。
やったろう。
予約してください。


2015年10月6日火曜日

屋根裏ハイツ2F『二十一世紀旗手』公演情報


屋根裏ハイツ2F『二十一世紀旗手』


 
























あらすじ
日本。
事実上の徴兵制が施行されたこの国のどこかにある、もうほとんどの人がいなくなってしまった農村地帯。
その村の小学校は数年前に廃校となってからそのままにされていた。近郊の都市圏から若者たちが連れだってそこへ移住してきたのは、
それからしばらくしてのことだ。彼らは、急速に変容する国内情勢に対する逃避、もしくは抵抗の方法として自分たちだけの理想の国家
を作ろうとしていた。友人がデモへ出かけていったように、あるいは沈黙を貫いた、それと同じ一つの方法として、その場所を「王国」と名付けた。

国なのだから国境がある。
「王国」と日本を隔てる国境はかつての小学校の校門、数年前までは、ここを笑顔で駆ける児童の姿が確かにあった。
それは、変わってしまった? 変えられてしまったのだろうか? そんなことはあなたが一番よく知っているはずだ。

冬の間から春を越え、夏に差し掛かろうとするまでの数ヶ月、その王国はあったという。

ここではないどこかへ行くために、ここではないどこかを作ろうとした、若者たちの青春譚。


公演日程
2015年12月
10日(木) 14:00 / 19:30★
11日(金) 14:00 / 19:30
12日(土) 14:00 / 19:30★
13日(日) 11:00 / 15:00
(計8回 ★=アフタートークあり)

アフタートークゲスト
10日 八巻寿文氏(せんだい演劇工房10-BOX二代目工房長)
12日 中田千彦氏(宮城大学事業構想学部デザイン情報学科准教授)


※ご予約チケットは取り置きになります。当日に受付で料金をお支払いください。
※受付開始、開場は開演の30分前です。開演開始の5分前になりますと予約をキャンセル扱いとさせていただく場合がございます。予めご了承ください。 

公演期間前にミニイベントに出演、公演終了一週間後にアフターイベントなどを企画中です。

会場
せんだい演劇工房10-BOX box-2

料金
前売 2,000円、当日 2,500円
ユース(25歳以下)割引 1,500円(前売のみ)
高校生割引 500円(枚数限定、前売のみ)
リピーター割引 500円
中学生以下 無料(要予約、枚数限定)
予約はこちらから!


出演
塚本恵理子
村岡佳奈(以上、屋根裏ハイツ)
加藤隆(短距離男道ミサイル)
佐藤立樹(宮城教育大学演劇部)
松浦良樹(東北大学学友会演劇部)
三澤一弥
山澤和幸
渡辺千賀子(三角フラスコ)

スタッフ
作・演出 中村大地
舞台監督 澤野正樹
照明 西邑太郎
音響 本儀拓(キーウィ サウンドワークス)
映像 川村智美
舞台美術 中畑翔子(屋根裏ハイツ)
制作 渡邉時生(屋根裏ハイツ)
制作協力 千田優太、岩崎環(東北大学学友会演劇部)
協力 ARCT、キーウィサウンドワークス、三角フラスコ、短距離男道ミサイル、東北大学学友会演劇部、宮城教育大学演劇部 

2015年9月26日土曜日

音楽と演劇

しばらくぶりです。今日は本当は一日稽古だったんだけど、参加率も鑑みて、夜区分の稽古だけに変更しました。なので、今は自分の抱える次の公演(短距離男道ミサイルの音響)の仕事をしている合間の時間。
世の中の音響さんがどうなのか分からないけど、選曲を預けられたときに、実際にその音素材そのものとして使うことはなくてもYoutubeで音を探すことはよくある。僕は。

前の作品もそうだけど、この二十一世紀旗手というのもぼくの好きな作品になるはずである。
自分で作ってるものを自分で好きになれないということはまずありえないから。
それってだって失敗だと思う。

で、なにがいいたいかというと、僕の好きなものっていうのは、音楽にせよ、絵画にせよなんとなく似ていて、そこにはある連関みたいなものがきっとある。
僕の話す言葉は他人(つまり、先人)からの間借りの言葉だっていうのは、ビートルズの時代にポップミュージックのコード進行はすべて出しつくされて、以降のポップミュージックは全てその再構成にすぎないっていう話を高校生の時に聞いて(ソースはない、けど。)、以来根底にある考えだけれど、作品を創るというのもそれと同じで、だから、自分の好きなものからの間借りの再構成が僕の作品になるので、そこには通底する何かがあるのだという話。

展開がほぼなくミニマルで、繰り返しの中で、繰り返す構造の中にエネルギーみたいなものが内包されてるエレクトロやポスト・ロック。

Mogwai― Like Herod(BBC Live)
https://www.youtube.com/watch?v=zFfzwenBaKM

Meat Beat Manifesto― Acid Test
https://www.youtube.com/watch?v=4jolgf8_URs

あるいはリズムを欠くようなドローン、ノイズミュージック。

Genocide Organ ― God Sent Us I
https://www.youtube.com/watch?v=pjGDnX4VZBA

Earth - Thrones and Dominions (remixed by Jim O'rourke)
https://www.youtube.com/watch?v=VBYHCEwFwSU

Brokeback - Lives of The Rhythm Experts
https://www.youtube.com/watch?v=fNRGoCReg0Y

ここまで書いたら時間が来てしまって、今は朝の5時半。

展開に乏しいし、メロディーが正面に出てこない音楽を聴いていると、その奥向こうに、何か光りだったり流れているはずのない音が聞こえてきたりする。
日常の中に潜む劇もその構造に近しく、何をその喧しさから取り出すのかは、受け手にゆだねられている。

俯瞰したカメラからいっきにズームし、ある対象を映し出す。映画ならよくある話だ。
劇を見ている観客の目にも同じような機能があって、舞台上で起こることを、好きなようにズームして、取り出すことができる。

そのためにはある程度観客の想像力に阿るためのスペースを舞台上に残さなければならない。
その余剰がとにかく豊潤なものとなればなるほど、僕にとっては良い作品となる。

まあ、ポップソングも好きなのだけれど。
最近の僕は演劇については、こういう風なことを考えている、という話。

昨日の稽古を終えて、次はミサイルのツアーで帰ってくるまでは稽古はお預け。
台本を完成させて、次の稽古には望みたいところだ。

2015年8月28日金曜日

言葉と身体

稽古はめっぽう苦戦が続いている。
言い訳をすればテキストの執筆に割く時間があまりにもないこととか、あるいはそれに関連することに割ける時間をもっと別のことに割いてしまう、割かざるを得ない現状があるからだとか、考え付くわけだが、とにもかくにもテキストのジャンプがまだ弱い。
身体と言葉を平等に扱う上ということが、例えば舞台を見るときに、観客が役者が言う言葉や音声や、お互いの関係とかではなく、小さな右手の動きだとか、そういったことを見ることである種全く異なる余計な想像をしてしまう、というようなことであることはなんとなく理解できたのだが、ではそれに有効なテキストとは何か?

テキストとは俳優を拘束しかつ俳優を自由にするものである。この拘束するための道具が俳優に与えられていないのかもしれない。

言語の遊びという本を読んでいると、言葉はゲームであるという言及が見受けられ、あ、それダンスに関する書籍でも読んだなあと思うのであった。

何かヒントになればいいが。

2015年8月25日火曜日

覚書

すっかり夏風邪をひいた。喉が痛いので長引きそうだ。今週は静養と執筆に努め(そう上手くもいかないが)色々出かけるのを控えることにする。

言葉の暴力というのはなんだろうか?

一つは直接性である。
観客に向かって喋る方が、間違いなく俳優同士のやりとりよりも、観客に緊張をもたらすし、意味がそのまま、伝わる。観客は基本的には応答を許されてないから、聞きたくない言葉には耳を塞ぐしかない。その不自由さを逆手取る観客に向かう話し言葉には直接性がある。これは独白ではない。

おそらくもう一つは凝縮具合である。その言葉を聞いた時に言葉の描く風景の緻密さはどうであるかということ。観客は聞いた時にその言葉を頭の中で爆発させる。
人から又聞いた話を受け取った時に、その話し方いかんで映像の解像度は決まってくる。

明日は実際に舞台で使う映像の話ができるだろう。楽しみだ。。

2015年7月15日水曜日

『二十一世紀旗手のためのワークショップ』その②

お待たせしました。第二弾です。
この日は前日参加できなかった三澤くんも含めて、2日目は僕もWSに参加して、身体を結構使いました。汗をかくのがもはや久しぶりでした。

では、はじめます。今日は塚本さんの稽古場レポートを少しだけ書き換えて転載しながら、です。

■ストレッチ
一日目自己紹介にいなかった人の自己紹介をしながら。
一人ひとつストレッチをして皆で形を真似する、というのを回していく。 


■ひざを曲げていく、上に伸びてつま先立ちになるまず何も考えずに動きとしてやってみる。
次に頭を押される、引っ張られるイメージでやってみるとどう違うのか。
→首筋や上半身に力を入れようとした、上半身に意識がいく、…


イメージを付加することで、体の動きには変化が生じます。

片方が、指を引っ張るガイド役。
そのあと、右手の中指が、地面に引っ張られていったら、身体はどうなるのか?ということを全員でやります。
右手が地面に引っ張られていくと、それにつられてほかの身体の部位も動きます。だんだん地面に近づいてくると、ほかの身体の部位に負荷がかかってきて、『地面に引っ張られる』というイメージが薄まってしまう。
そこで、2人1組で、一方が指先を引っ張って、この感覚のガイドとなってあげる。

『指が地面についてからも、イメージで引っ張り続けてください』
そこからどうなるのか?
そのイメージを、具体的にどういう動きとして置き換えるのか?
『地面についたところから死んでいくイメージ』といった意見が出ました。




右腕が引っ張られていきます。

■手が引っ張られる
何者かに引っ張られて歩かされるイメージで動く。一定方向に、ただし人や壁にぶつかるときは方向転換する。



→方向転換するときにイメージが切れやすい。
身体から引っ張る力が見える人は、腰や足が不安定な状態を保っている。





方向転換
■いろんな方向に引っ張られて振り回される。

一人ずつ舞台に立って、場が死んできたら他の人が入ってバトンタッチ。
→皆なかなか助けに行かない。死ぬ前に入って交代しないと場の鮮度は保てない。


どういう風にイメージを持続させるか、持続しないと、見ている側も飽きてくる。そこには相関関係がある。


磯島さんも舞台へ。

急いで交代!



場が死ぬ、というよりも、舞台上の人が倒れて動かなくなったら交代の契機、みたいになってしまった部分がいくらかありました。

■倒れる
円になり、全体に意識を配って、美味しいタイミングで倒れる。誰かが倒れ始めたら倒れて立ち上がるまでその人を見る。

→倒れることを、見る側もやる側もわかっている。“待ち”になると面白くなくなる。
期待を裏切るタイミングや倒れ方を探る。必ずしも倒れる必要はない。





誰かが倒れるときは、それを見る。



 磯島さんから、「『倒れる』といったけれど、その倒れる、といったルールをどう解釈するかは受けて次第」 という指示がでます。


→倒れては立ち上がりそのまま倒れるを繰り返す。/他の人が立ちあがる前に倒れる。/部屋の隅に移動して倒れる。/定期的に倒れる人がいる、それに合わせて倒れる。/



→ルールを破るのは(見ている観客の)期待を裏切ることができる、それはルールがあってこそ。
倒れるという事象を大事に使いながら、バタバタと勢いに乗る瞬間も美味しい。さじ加減が大事。


ルール破りが常態化すると、ある種『麻痺』してしまい、ルール破りの面白さがなくなってしまう。
 




■会話
WS用のテキスト、2人ないし3人のシーンをただ読んでみる。
以降、これに要素を加えていく。




まずは本読み。



磯島さんWS以外でも、使用しているテキスト(二十一世紀旗手からの抜粋です。)を用いてのワークショップに入ります。
配役は希望制で、進めていきます。

少し繰り返した後、磯島さんによる様々な操作が入ってゆきます





山澤さん(写真右)は、テキストにはいない人物。
・テキストには書かれていない数人を登場させ、会話を邪魔する。(横切る/話しかける/…)
→タイミングを狙うこと


テキストにはいない人物が、いることで、そして彼を意識することで、テキストに新たな意味が生まれます。




左から、加藤、村岡、松浦、三澤。右二人が会話をするはずです。


 邪魔することで、会話は停滞します。
舞台においしい邪魔と、そうでない邪魔があります。それを意識するとどうなるだろうか?


誰がどういう関係をもっているのか最早わかんなく見えますね。

 ・さらに会話者自身もアクシデントにより会話を滞らせる
笑う/くしゃみ/倒れる/虫をつぶす/言葉を繰り返す/おなかが痛くなる/…


参加者から様々なアイディアが出てきます。




→(邪魔を利用して場面を立ち上げると)コメディ(笑えるムード)になる傾向。
邪魔要員と関係を作ることに頼りがちで、脈略のないアクションが出づらい。

磯島さん『沢山なにかが起きていたが大きく(物語の脈絡から)脱線はしないのはなぜ?
 


会話を担当するのは塚本、村岡、加藤の3名。左から三番目の佐藤は邪魔役。

会話を滞らせる、ことで舞台上に生じていた何か。何かは、なんでもいいはずなのに、いつの間にかテキストにからめ捕られている。
邪魔の基準は、テキストにとっておいしいものであるかどうか、になりそうになる。
たとえば、突然舞台上で倒れたりとか、しなくなる。(さっきの『倒れる』の時にはしていたことなのに。)

当たり前のことかもしれませんが、テキストが大きな下地を作ってしまっている。
俳優たちも『そこから逸脱しようということは考えなかった』とのこと。

テキストとして面白いことはたくさん起こります。会話する3人が、上手側の松浦、山澤(彼らは立っているだけ、というディレクションがついています。)のそばで会話することで、彼らの役割が、動いていないのに変容する。同じ空間にいるものであっても、直接的にかかわるのか、間接的にかかわるのかで、バラバラの位相・レイヤーにいる人物たちが重層的に交わりあう、そういった状況はできうる。
けれども、それは『テキスト』という大きな下地の上での関係なんだなあ、と思いました。

ていうか、ふつう演劇ってそうじゃん、って思っていました。少なくとも僕がよくやってる「演劇」は、そう。 そこに別段疑問を持っていなかったので、磯島さんの疑問はかなり衝撃的でした。
脈絡から脱線するわけないじゃん。という感覚。

テキストに従順でありすぎることで、舞台上で起きていることを見落としてしまう・・・
その罠の根底にはこういう感覚が潜んでいるのかもしれない、んでしょうか。
『言葉と身体の対等な関係』とは、じゃあいったいなんだろう。
この疑問に、もう一度立ち戻ることになります。

最後に、退館時間が迫る中、片づけをしながら、自分の覚えたセリフを用いて日常会話を俳優は行っていました。もちろん、ちぐはぐになる部分もあるのですが、やり取りが全く予想できない分、俳優自体は新鮮さを持ってやり取りしていたと思います。

その新鮮さと、観客が見る新鮮さ・スリルみたいなものは、相関関係にある、あるはずだ。

舞台上で起きることがすべてだと、演劇をよくやっていると思うことで、いろんな人が口酸っぱくいっていることでもある。その「すべて」の『前提』をどこに置くかによって、気づかなかったことに気が付くことができるのだ、と思いました。


と、この2日間の経験を血肉にし、より良い飛翔ができることを、肝に銘じつつ、『二十一世紀旗手のためのワークショップ』のまとめがおわりです。

読んでいただきありがとうございました。

2015年7月13日月曜日

『二十一世紀旗手のためのワークショップ』を実施しました。その①

こんにちは、中村大地です。
そろそろブログの書き手も僕以外のがあったほうが色々振り幅在って良さそうです。次の稽古は誰かに稽古日誌を書いてもらおうかしら・・・

さて、タイトルの通り、先週7月4,5日に、 『二十一世紀旗手のためのワークショップ』を実施しました。ダンサー、振付家の磯島未来さんに、ファシリテーターを務めてもらい、身体と言葉を巡るワークショップを、出演俳優に、してもらいました。(2日目は僕も混ざってしまいました。)
その模様を、アップしたいと思います。

まず、なんで磯島さんに、なんでこの時期に、やったのか、ということを、簡単に説明します。

喋ってない時に舞台上に「ただいる」ということ(ただいる、って、その場にいて、舞台上にある全ての情報に気を取られている状態のことだと思う)を、舞台上でしっかり俳優にはやって欲しいと思っています。
演劇(と十把一絡げにするのもまずいけど)を見ていると、セリフを言うための補助器具として身体の動き、身振りが使われていることが割とあって、そうすると、喋ってない時の身体がおざなりになってしまうことが良くあって、その時の身体のこと(「ただいる」ということに興味関心のない身体のこと)が、僕はあまり好きではありません。
なので今回はできれば身体と言葉を平等に扱いたい、扱おう、と思っています。

平等、と言葉にして見たはいいものの、はてさてそれをどうしたら良いものか。

ダンス(また十把一絡げ!)は、反対に、身体が言葉よりも目立つことが多いです。言葉も、身体のために扱われることが多い。その方が、僕は日常の所作に近いと思っています。そしてそういう身体の方が面白いと思っています。
そして、僕が見た幾つかの磯島さんは、あるいは作品に登場するパフォーマーは、よく「ただいる」ということをやっていて、「ただいる」ことに神経注いでる感じが、見ててします。(それはコンテンポラリーダンスで当たり前のことかもしれない?)

「ただいる」ことの延長線上に、「言葉と身体を平等に扱う」というニュアンスは位置しているんじゃないかと、直感では思っていて、この「ただいる」ということをやりたいと思った時に、できれば僕の話す言葉とは違う言葉でやってくれそうな人が、先ほど言ったみたいに、僕の仙台の知り合いの限りでは磯島さんだった、から、磯島さんにお願いしました。

そして、本番の5か月前にやったのは、このワークショップを経た身体で、「体と言葉を平等に扱う」ことをしたいと思ったからです。シンプルに。



(簡単じゃなくなっちゃった。)長くなりましたが、じゃあまず一日目を振り返ります。
この日僕が合流したのは、19時過ぎだったので、それまでについては、村岡の稽古場レポートから引用しようと思います。

■自己紹介(名前、年齢、最近興味があるもの、演劇始めたきっかけ、今後目指していること、最近の悩み)
■ストレッチ
■頭を押される、引っ張られる
(頭を押されるイメージで膝を曲げる。
頭を引っぱられるイメージでつま先立ちになる。)
・イメージをきちんと持つ。嘘をつかない。
・実際に押される、引っ張られるを体験した後、改めてイメージでやるとどう変わるか。
→押される方のイメージが湧きづらい。/
実際押されたときの感覚(どこに力が入るのかなど)を思い起こしながらやるとやりやすい。/イメージのときの方がゆっくりになった。
実際に押されてみるのと、イメージの押されるは違う。(後ろ姿は磯島さん)

■空間を歩く(速度変更、すれ違う人を見る、すれ違う人を笑う、すれすれを通り過ぎる)
・速度が変わっても、距離が変わっても相手を見る
・足音はなるべく立てない

■鬼ごっこ
躍動感。

ここら辺から僕も稽古場に入ってみてます。

WSとは違って今までの稽古は動かないし頭使うみたいなのが多かったから、みんなが激しく動いて汗をかいているのが新鮮という、妙な感じ。(屋根裏前の作品から汗かかない系だったし。)

捕まった数。負けた人がジュースおごります。












さてさて、次からも、村岡さんのまとめレポートをお借りして振り返っていきます。




■エアーバレーボール
3vs3で、架空のバレーボールを使って試合をする。10点先取。
トスからの、


・ボールを取る人が、確信を持ってボールを取れば成立する。

相手コートに明らか返球できてないだろ!っていうのでも、相手が拾っちゃうと、成立した感じになる。というのが、一番見てて思ったところです。
アタック!





いろんな位置に並んで
■居心地の良い場所を探す→いろんな場所から一斉に動き出してその場所に移動する
・動き出し、全体にアンテナを張る。
 →張りすぎて怖くなり萎縮しちゃう


ここからいよいよ、最初に言った「ただいる」みたいなことに近づいていきます。自分の居心地のいい場所を、居心地良く保ち続けるためにはどうしたらよいのか?
 

あらかじめ決めた自分の場所へ。
・居心地のいい場所がだんだん新鮮味なくなり死んでいく


 居心地がよかったはずなのに、繰り返すことで、居心地のいい場所がそうでなくなっていく。新鮮さはどうやったら担保できるのでしょうか?




到着。

■いろんな場所からそれぞれのタイミングで居心地のいい場所に移動する
・自分にベストなタイミングをはかる
・最後の人は遠慮して動き出しを急いでしまう傾向


みんな真面目なので、空気をなんだか読んでしまう。空気を読んだ結果ベストな感じにはならない。性格がでます。



違う角度からも。

■それぞれのタイミングで居心地のいい場所に移動し、全員移動してから10分間そこに立ち続ける
・10分間の過ごし方の違いで、生き続けたり、枯れたりする。
・飽き、眠い、無の状態は枯れていく
・自分の中でストーリーが出来ている人は生きている


まさに、「ただいる」。打ち合わせの時から、「これをやろうかな」とおっしゃってました。10分立ち続けるのを見続けるのはつまらないかというと、そんなこともなく。途中で一回音楽が入るという変化があるのもあるんですが、やっぱり充足している身体はそれだけで十分見ごたえがある。見ていて、充足している、と思わせる俳優と、俳優自身の中にあるイメージの強さに相関関係があるのが発見。


原則は、誰か一人が倒れたら、ほかの人はそれを見る。
 ■倒れる(円になってただ倒れる→一人だけ倒れる)
・倒れて終わりではなく起き上がるところも自分の時間にする
・倒れるタイミング、どこが美味しいかはかる


倒れる。というアクション。「別にバタンと倒れなくてもいいし、 起き上がるときもどう起き上がったっていい。倒れるというアクションをどう捉えるか。」磯島さんの言葉で様々なトライを俳優たちもします。
倒れるが乱発すればいいわけではない。
僕的には、自分の行為の大きさを意識して、それがいったい舞台上にどんな効果を及ぼすのか意識して動いたほうがいい。
みたいなことをこの前の稽古で言ってたので、そのこととも僕の中では関係を持ったこのワーク。この日のメンバーはやっぱり真面目。 良し悪しですが、磯島さんの提案を結構素直にやります。



集団で歩いて、
 ■二列で一緒に歩き、誰かが倒れる
・倒れる、を乱発させない
→大事にすると倒れることに勇気が必要になる。


歩きながら、自分のおいしいタイミングで倒れる。
二人が同時にバタンと倒れたりすると、それはかなり劇的。 
誰かが倒れる。倒れると隊列が乱れる。
 倒れた、それから、後ろの人がどう対処するのか、他人を巻き込むことで当たり前だけれど広がることがあります。

倒れるという大きな挙動も、頻発すると、その動きの大きさに麻痺して、ビビッドに感じられなくなる。倒れる、を大事にする。倒れたことをきちんと受ける。
そういうことが求められているのかな、と思いました。








ちょっと見づらくなってしまったのですが、こんなところで1日目は終了。長くなってしまったので2日目はまた分けて更新します。


2015年7月5日日曜日

新入居者と、次回公演

大変ご無沙汰しております。屋根裏ハイツです。中村大地です。
ブログの更新がすっかり止まっておりました。反省してます。
幾つかのニュースがあります。

7月1日をもって、新しい住人(劇団員)を迎えることになりました。
住人として村岡佳奈が入居します。
以下、村岡からの挨拶です。

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この度屋根裏ハイツに入居しました村岡佳奈です。
屋根裏ハイツには旗揚げ公演の時にもお世話になりましたが、今回正式に劇団員となりました。
劇団というものに所属することが初めてなので、一体どういうことなのか、何か変わるのか、何を変えるのか、まだ分かっていない部分がほとんどなのですが、同年代のメンバーということで、切磋琢磨しつつ成長していけたらと思います。
これからどうぞよろしくお願い致します。

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これで現メンバーは塚本恵理子、中畑翔子、中村大地、村岡佳奈、渡邉時生の5名になります。

次に、屋根裏ハイツの2階ですが、実は今年末の建設(公演)が決定しております。


屋根裏ハイツ2階 
『二十一世紀旗手』

公演日時:12月10日~13日
作・演出:中村大地

キャスト

塚本恵理子
村岡佳奈
(以上、屋根裏ハイツ)

加藤隆(短距離男道ミサイル)
佐藤立樹(宮城教育大学演劇部)
松浦良樹(東北大学学友会演劇部)
三澤一弥
山澤和幸
渡辺千賀子(三角フラスコ)


まずはここまで。追って順次情報を公開していきたいと思います。
既に5月の末から月に数回のペースですが稽古がスタートしており、出演するキャストと、演出と、
稽古場でやり取りを重ねています。どうぞ続報をお待ちください。

2015年3月20日金曜日

すんぷちょ「ひゃくねんモンスター」

テキストは作品を良くするために利用されるツールにすぎない。

このことは書いてかつ演出をしてる時は忘れがちで、特にホンが上がってない状態で演出してる時などは顕著になる。

先日書いた日記は既成の脚本を演出するときの話だけれど、今度は自分が書いたテキストを他人が演出するときの話。

実は来週頭にあるNPO法人アートワークショップすんぷちょ「ひゃくねんモンスター」にテキストを提供していて、今日はその稽古にお邪魔していました。
依頼があってテキストを書き下ろしたのだが、他人が自分の言葉を演出するなんてことは初体験で、それもあって非常に稽古は面白かった。
(演出がダンサーで、これがダンス作品だということも良かったのかも)
稽古を見ているときは、自分がどういう気持ちでこのテキストを書いていたかなんてことは忘れていたし、ようやく帰り道でそういえば全然違うことを考えて書いていたな、なんてことを思い返さなければならないほど。
それほど新鮮なシーン群だったし、すっかり場に馴染んだシーンになっていて嬉しい。これが本番どうなるか、パトナで一体どうなるのか、楽しみである。
生意気にも気になったことを幾つか俳優や演出のみかささんに喋って帰路につく。

例えばあるシーンなんかでは、「僕はこんな気持ちで書いたんだ」みたいな事を言いたくなったり言及したくなったりしまのは事実なのだが、別にそんなことはどうだってよく、具現化されるシーンがどうか、ということが全部なのであって、テキストを素材に材料に如何にでもして欲しいから、自分も逆の立場ならば下手な遠慮はいけないなあと思ったのでした。

25日は前売完売のよう。24はあるみたいなので、どうぞご予約ください!本当の本当に子供からお年寄りまで楽しめます。

ではでは。

2015年3月18日水曜日

今、ここで作品を作ること。

しばらく仙台を離れていました。
2つの現場がたまたま続いて、京都→新潟を直接移動することになったためです。両親の仕事柄からか、こういう生活には憧れがあったのですが、実際のところひどく疲れたようで、体調悪く今日のバイトは早退けしたりと、身体は内からも外からもぎゃあぎゃあ言っていたということに気がつかされたのでした。
葛根湯を飲んで寝ていたら思いの外回復したので夜は次の次の現場の稽古に。

情報はまだオープンにできないのでその事はさておいておいて、今取り組んでいるのは既成作品。

音響で携わった蛙昇天もしかり、既に有るものをなぜ今やるのかということは、どうしても考えざるを得ないことです。

もちろんその事は自分で本を書くときも「なぜこれを今書くのか」ということは考えているし、今書かざるを得ないことを書いているつもりなのだけれど、既成と対峙すると、途端に明白に「今ここ」が現れてきます。

そして「今ここでやらざるを得ない」ことはできれば観客に届かなければならない事項で、そういう作品を見る事が出来れば、あるいは現在と作品をうまくつなぐことができれば、僕は一観客として満足するし、そういう作品求める部分が大いにある。


物語というのはなんだかよく人がよく死ぬ。あるいはよく人が愛し合う。
裏返せば人が死ねば結構物語なのだし、愛がどう転がろうとも愛があればわりと結構物語である。

若手の作品なんかだとやっぱそこが上手くないことが多くて、物語のために死ぬやつが大概いたり、物語のために恋愛が成就したりしてなんとも本末転倒なことがままあります。(これは京都に行って全国学生演劇祭を見て思ったことでもあるけど)

自分も書くとき、そんなことにはならないように細心の注意を払ってるつもりではあるのだけれど、「暗くて〜」の感想にあったみたいに、「構造を見せるために死を扱うな」というお怒りをくらうこともあったわけで、一つ一つの言葉にわざわざ耳を傾けることはないにせよ、同じ轍を踏む一人の若手である、ということには変わりないわけで。

だからなんだという話だけれど、
この作品は如何にして現在と接続して、してやるのがいいのだろうか。
そんなことを考えながら稽古場にいたのでした。
(この現在は、「僕」と置き換えても良いのかもしれない。)


いつだって現在はいつかの「以後」でありいつかの「以前」である。
その流れの只中に1つの楔を打ち込むこと。そこにどんな文脈をそれぞれが用意してくれるのか、僕は用意するのか…

そうして稽古は進んでゆきます。




2015年2月17日火曜日

「蛙昇天」

「アラビアの夜」を終えて、全く休む間もなく「蛙昇天」の稽古が追い込み、今日Bチームのプレビューだった。明日(日付変わって今日)はAチーム
明後日の初日にむけ、初めてお客様に見ていただく機会。

このタイミングで関わっているこの2作で、演劇って自分が思っているよりもっと豊かだし信じていいものなんだということがよくわかった。よくわかってきた。

http://boxes-inc.jp/?p=1108


まだまだお席がある公演もございます。
少々チケット、小劇場の作品にしては高いですが、是非とも。

今後生かせることだと思うが、まずは3月までの長い道中を、倒れることなく。

2015年1月21日水曜日

河北新報「創 つくる」に掲載されました。

 


昨日、1月21日付の河北新報夕刊「創 つくる」 に記事を掲載していただきました。
何の因果か巡り合わせか、本当に運良く記者の方と知り合いになり、今回の件をお声がけ頂きました。劇団も自分自身も新聞に(こんな風に大きく)載るほどのキャリアも実力も無い中で恐縮することしきりです。本当にありがとうございます。
昨年から劇団を立ち上げ、自分の感覚よりもはるかに速いペースで色々なことが進んでいる感覚があります。それは少し恐ろしいことです。


これは自戒を込めて、それからできれば誰にだって誤解されたくないからこんなことを言うのだけれど、本当に、僕はまだまだ、何も成してないし、ゆっくりとしたあゆみでしか前へ進めていない。
進んでいるかも怪しいかもしれない。
そんなタイミングでのこの記事であり、取材でした。
こんな風に自分の虚像が前方にあらわれたことを、良いことととらえ、早く追いついて早く追い抜かすことができるよう、精進を重ねていくつもりです。

本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。
それでは。


中村大地

2015年1月11日日曜日

遅まきながらの新年のご挨拶

新年のあいさつが遅くなりました。
中村大地です。
個人の挨拶はさっさかすませたというのに、劇団の挨拶はこのありさまです。
手紙の挨拶ではもう寒中見舞いになるのでしょうか。
なにはともあれ、本年もよろしくお願いいたします。
昨年は皆様に大変お世話になった一年でした。
屋根裏ハイツとしてはようやく旗揚げ公演を行うことができました。
いよいよ本格的な始動を今年から、と言いたいところだったのですが、次回の自主公演は2015年12月と、かなり先のお話になってしまいそうです。
もちろん今まさに水面下では動きが始まっていて、2階は1年近い時間を費やして作る作品になる予定です。

屋根裏としての活動はしばらくありませんが、年明けからメンバーは忙しく外部の活動をしています。
上演される順番に公演情報をどうぞ!

[中村大地・音響] 
エイチエムピー・シアターカンパニー新作公演
〈同時代の海外戯曲Ⅲ〉『アラビアの夜』
演出:笠井友仁
2015年1月30日(金)〜1月31日(土) 
@宮城野区文化センターパトナシアター
(↓ご予約・詳細)
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=60295

[中畑翔子・脚色/演出]
東北大学学友会演劇部2014年度卒業公演 
レ・ミゼラブル 
2015年2月7日(土)8日(日)14(土)15日(日)
@東北大学片平キャンパス内第六ホール
(↓メイキング映像)
https://www.youtube.com/watch?v=obT473zOprE
(↓東北大学学友会演劇部)
http://tohokuudrama.kitunebi.com/

[中村大地・音響部]
CREATIO ATELIER THEATRICAL ACT Vol.1 
『蛙昇天』
演出:長塚圭史
仙台公演
2015年2月16日(月)~3月1日(日)
@せんだい演劇工房10-BOX box-1
※新潟公演も予定
(↓ご予約・詳細)
http://boxes-inc.jp/?p=1108

[中村大地・テキスト/シーン案]
NPO法人アートワークショップすんぷちょ
『ひゃくねんモンスター』
2015年3月24日(火)、25日(水)
@宮城野区文化センターパトナシアター
(↓ご予約・詳細)
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=61414


それぞれかなり面白いものになっているのではないかと思います。ぜひ足をお運びください。
それでは、本年も屋根裏ハイツをどうぞよろしくお願いいたします。


屋根裏ハイツ主宰 中村大地