音楽と演劇

しばらくぶりです。今日は本当は一日稽古だったんだけど、参加率も鑑みて、夜区分の稽古だけに変更しました。なので、今は自分の抱える次の公演(短距離男道ミサイルの音響)の仕事をしている合間の時間。
世の中の音響さんがどうなのか分からないけど、選曲を預けられたときに、実際にその音素材そのものとして使うことはなくてもYoutubeで音を探すことはよくある。僕は。

前の作品もそうだけど、この二十一世紀旗手というのもぼくの好きな作品になるはずである。
自分で作ってるものを自分で好きになれないということはまずありえないから。
それってだって失敗だと思う。

で、なにがいいたいかというと、僕の好きなものっていうのは、音楽にせよ、絵画にせよなんとなく似ていて、そこにはある連関みたいなものがきっとある。
僕の話す言葉は他人(つまり、先人)からの間借りの言葉だっていうのは、ビートルズの時代にポップミュージックのコード進行はすべて出しつくされて、以降のポップミュージックは全てその再構成にすぎないっていう話を高校生の時に聞いて(ソースはない、けど。)、以来根底にある考えだけれど、作品を創るというのもそれと同じで、だから、自分の好きなものからの間借りの再構成が僕の作品になるので、そこには通底する何かがあるのだという話。

展開がほぼなくミニマルで、繰り返しの中で、繰り返す構造の中にエネルギーみたいなものが内包されてるエレクトロやポスト・ロック。

Mogwai― Like Herod(BBC Live)
https://www.youtube.com/watch?v=zFfzwenBaKM

Meat Beat Manifesto― Acid Test
https://www.youtube.com/watch?v=4jolgf8_URs

あるいはリズムを欠くようなドローン、ノイズミュージック。

Genocide Organ ― God Sent Us I
https://www.youtube.com/watch?v=pjGDnX4VZBA

Earth - Thrones and Dominions (remixed by Jim O'rourke)
https://www.youtube.com/watch?v=VBYHCEwFwSU

Brokeback - Lives of The Rhythm Experts
https://www.youtube.com/watch?v=fNRGoCReg0Y

ここまで書いたら時間が来てしまって、今は朝の5時半。

展開に乏しいし、メロディーが正面に出てこない音楽を聴いていると、その奥向こうに、何か光りだったり流れているはずのない音が聞こえてきたりする。
日常の中に潜む劇もその構造に近しく、何をその喧しさから取り出すのかは、受け手にゆだねられている。

俯瞰したカメラからいっきにズームし、ある対象を映し出す。映画ならよくある話だ。
劇を見ている観客の目にも同じような機能があって、舞台上で起こることを、好きなようにズームして、取り出すことができる。

そのためにはある程度観客の想像力に阿るためのスペースを舞台上に残さなければならない。
その余剰がとにかく豊潤なものとなればなるほど、僕にとっては良い作品となる。

まあ、ポップソングも好きなのだけれど。
最近の僕は演劇については、こういう風なことを考えている、という話。

昨日の稽古を終えて、次はミサイルのツアーで帰ってくるまでは稽古はお預け。
台本を完成させて、次の稽古には望みたいところだ。

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