言葉と身体

稽古はめっぽう苦戦が続いている。
言い訳をすればテキストの執筆に割く時間があまりにもないこととか、あるいはそれに関連することに割ける時間をもっと別のことに割いてしまう、割かざるを得ない現状があるからだとか、考え付くわけだが、とにもかくにもテキストのジャンプがまだ弱い。
身体と言葉を平等に扱う上ということが、例えば舞台を見るときに、観客が役者が言う言葉や音声や、お互いの関係とかではなく、小さな右手の動きだとか、そういったことを見ることである種全く異なる余計な想像をしてしまう、というようなことであることはなんとなく理解できたのだが、ではそれに有効なテキストとは何か?

テキストとは俳優を拘束しかつ俳優を自由にするものである。この拘束するための道具が俳優に与えられていないのかもしれない。

言語の遊びという本を読んでいると、言葉はゲームであるという言及が見受けられ、あ、それダンスに関する書籍でも読んだなあと思うのであった。

何かヒントになればいいが。

このブログの人気の投稿

5F『ここは出口ではない』お客様の感想

12月、声と風景にまつわる些末なあれこれ

上演台本:パラダイス