「とおくはちかい」横浜公演アンケートまとめ

続けて、「とおくはちかい」横浜公演のアンケートまとめを掲載いたします。
横浜は7月7日から7月9日まで4回公演致しました。
仙台公演同様、誤字脱字などはそのまま反映させております。
どうぞご覧ください。

○7/7 19:30~
・台本の世界が見えにくい。
ナチュラルなお芝居とただ声が小さいのはちがうよーな。
とてもむずかしい。やろうとしたことはわかった。
もっと役者さんを生かしてみてほしい。声が小さくてももっと何か引きだせると思います。←アフタートークの方が言葉がいきてるので(40代)

・砂のシーンがキレイでした。もっと長くてもいいと私は思うけれどまあ妥当なのでしょうね。
止まっているもの、置いてきたもの、思い起こされる対話でした。
2幕目、10年後ということがわかるまでにちょっとかかりました。(40代)

・わかるようでわからないような、わからないようでわかるようなまじるようでまじわらない絵の具の気分でした。
「記憶」も何となく感じて、話す事で覚えていること、現実でおきてるはずなのに空白のように忘れていること。聞いている事のはずなのに忘れていたり。
全部空気に消えていく「言葉」とか対話は不必要なようで必要なのかなと。
アフタートークは第2回「とおくはちかい」に見えた。(20代)

・東京人ですが、言い得なさのあの空気感は胸が1kg重くなった感じがしました。(20代)

・大きな物語に(解読できず)ことへのためらいに共感(多分)を覚えました
岡真理の議論が面白いので未読であればぜひ(20代)

・会場に入って舞台美術を見てもうすでに満足した!笑
後方のミニチュアが可愛い。遠近。遠くは近い。
爆発事故の話、話してたのに、2人とも覚えていないのかあ。
ラジオ、私はフィクションなのかなあと思いつつ、震災のことかなあとか広島の原爆あたりの話にも聞こえて、過去のことにも未来のことにも聞こえた。
ゲストの方の今日告別式だったという現実にもびっくり。私も、最近家族を亡くした親友のことを、観ながら考えていた。75分も座ってるのは疲れる…。(20代)

・劇もトークも、とても良かった。また一晩寝て考えてみます。(20代)

○7/8 14:30~
・会話劇というのを見ないのですが、台詞がストレートに客席に来ないので「覗き見するような気分でご覧ください」という言葉が当てはまる気がした。
第一幕と第二幕を比較して第二幕で話をまとめようとしてか、ストレートに届く、訴えたい台詞が目立ったので、劇を意図的に終わらせようとする感覚になった。(20代)

・公演パンフレットでしょうか、このパンフレットを見ないで作品を鑑賞しました。
どんな設定かを事前に知らなくても十分に話しはつかめました。
このパンフレットを見てから鑑賞したら、入り口から違う印象を持っただろうと思います。
パンフレットを見てから作品をみる人とそうでない人がいるのは、作家さんとしては良いのかな?と気になりました。慣例にならえば問題ないですが、そのくらい言葉と拝啓(設定)の手ざわりが細やかな作品だったので、最後に気になりました。(30代)

・横浜公演おめでとうございます!
事象に対する湿度(→いちばん手触りがあったところ)が、手触りとして感じられた。
ドライ(85%)であったり、ウェッテイであったり(15%以下)→いやほとんどない
いろんないみでドライだから火事になるんじゃ…?
有機的なドライさ。→ナッツ→木材
興味の向け方、ベクトルの大きさ、
風向きが微々として(少しずつ?)変化していってそれをかんじとるのも、“手触り”の一つだったかもしれない。
観ているうちに、彼女たちのドライさにシンクロして、この人たちの言ってることに、私あんまり興味関心ないかもーって思いはじめてしまいました。
役に感情移入するだけが“共感”ではないのだな、とあの雰囲気に共鳴したようなかんじでした。これは、新体験かも。女子ってあんまり他人のハナシにキョーミないよね(笑)→これ わかる。
エラソーに書いてすいません。思ったことをつらつら書いてたらこうなりました。残ステも頑張って下さい。
一幕は消火直後のしめりけがのこっていて二幕は乾いていた。あのときのしめりけを思い出そうとしてもなにか、つかみきれないもどかしさを感じた。“手触り”って、いいですね。ありがとうございました。(20代)

・仙台にいると震災の当事者でいることを求められる。
でも意外と当事者じゃなかったりする。
そのギャップがつかれる。
そういう人たちのための演劇だったのかなと思いました。(20代)

・Bがお茶を淹れに行ったり、あんこの缶詰を取りに行ったりする時に、客側がAと同じように一旦息をついているのが面白かったです。
B(村岡さん)の、おぼえていることと、おぼえていないことの感覚は、よく分かるなと思いました。それと、けっこうみんなそう思っているんだなあと思いました。(10代)

・母親の戦時中の記憶のこと、(覚えてない)思い出しました。ありがとうございます(40代)

・あまり震災の事を初めから念頭に置かないで見てみようと思って見始めました。
で、観ていて頭に浮かんだのは、自分が体験した新潟の中越地震でした。もしかしたら、九州の水害を体験した人は、頭の中で自分の体験に寄せて、水害の事を思い浮かべるかもしれませんね。(40代)

・自然でいい意味で演技していないよう
日常の中から普通の会話を切りとったような演技演出で素敵でした!
後ろの「部屋」のレプリカに砂をかける所で砂煙が照明とあいまってスモークのようになっていてキレイでした。(20代)

・前回よりも見やすい展示になってると思いました。
何気ない会話の中で、ちゃんと話が繋がる文脈とそうじゃない文脈が両方あって、自分の中でお話をつなげる楽しみができました。(20代)

・村長さんに会いに来た♡ザ・女子トークというかんじ。気まずさが伝わってきた(20代)

○7/8 19:30~
・なかなか集中出来なかった
小さく感じた
入れているようで入れてない
入れてないようで入れてる
距離感が難しかったです。(40代)

・ある2人の女性の本当に“日常的”なものを描かれたんだなあと思って、見てました。
どこかで展開されてそうな、“ありそうな”感じというか…。
その淡々とした、抑揚のなさに、こだわりを感じました。
また、意外と語ろうとしても、人はその心の全てを語れないんだということを。
そういう切なさのようなものを感じました。
普段、演劇を見にいくとき、激しいものや、エンタメ的なものが多いので、その抑揚のなさについていくのが、途中途中しんどい瞬間がありました。あえて動きを出さない、制約のある感じは好きなので、話してることそのものが、たまに怖かったりとか、何か演出があるといいのかな~と思ったけど、そういうのを削ぎおとしてるんだろうなぁーとか色々考えちゃいました(笑)また次回作も見にいけたらと思います(30代)

・普段忘れて生活していることをちょっとだけ思いだした気がします。でもきっと明日からまた覚えていないフリをして生活するのだと思います。(20代)

・まじめな二人の距離感が遠い会話でした。震災を久しぶりに思いだしました。(仙台在住時に震災経験)(30代)

・今回縁があって屋根裏ハイツさんの舞台を観させていただくことができました。女性2人が淡々と会話する舞台なのに、むしろ取り留めのなさに引き込まれました。アフタートークの開幕はいきなりすぎてビックリしました。ですが、内容は舞台を作る、空気をつくる点で非常に参考になって楽しかったです。(20代)

○7/9 14:30~
・記憶についての様々な(読み取れず)相が舞台上にのせられている劇として見ました。
役者さんの二人のやりとりが誠実でおもしろかったです。(20代)

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