9/12東京稽古、24仙台稽古

すっかり更新が遅くなってしまった。このままだと先が思いやられる。
二回分の稽古記録を更新する。

12日@東京中村家
東京稽古の二回目は、散歩をしたりはせずに稽古をしてもらった。二回目だっけか、三回目のような気もする。だらだらと話をするという行為は変わらないんだけど、今回はトークテーマにお題が与えられた。「宇宙人に遭遇したとことがあるか?」というテーマ。
宇宙人というのはもちろん比喩で、同じ言語を話していても一向に通じ合わない人に会ったことがあるか?という意味で問うた。
考えている2人から、「外国人クラスには会ったことがあるなあ」という言葉が聞こえてきたりして、いくらか雑談をする。このときの僕は、宇宙人と話をする方法のことを考えていて、できれば宇宙人と話ができたほうがいいのではないかと思っていたのだった。
宇宙人とまではいかないけど、と切り出して俳優がしたねずみ講(的ビジネス)の人にしばらくつきあった話を、いわゆるエチュード的な方法で実際にシーンとして立ち上げてみる。この話を眺めていたときに僕が思ったのは、「こんな人のことは別にわからなくていいな」ということだった・・・
薄々感づいていたような気がするけど、時々こうして考えていることはなんだか道徳の授業のようだなと思う。とっても理想論、的なこと。
誰とでも話す必要はないし、耳をふさぐことは重要な技だったりする。
実際、最近している日雇いのバイトで出くわす、会話はできないし現場も回せない頭の悪いADにたいして僕はよく耳をふさぎながら(もちろん比喩だ)、淡々と現金のことを考えて労働する。その時はまったくもって「こんな時に相手の立場とか思い巡らす必要なんてない」と思っている。会う必要のない宇宙人だっているのかもしれない。

喫煙は駐車場で。車はずいぶん前に廃車してからもうない。


24日@仙台
仙台稽古初日。なかなか仙台稽古は機会が作れないので一日がかりの稽古。前半は散歩をして、後半は稽古場でワークショップ。客演の横山さんの暮らしていた空間を散歩する、ということでプランを考えてもらって、待ち合わせ場所を指定してもらう。「待ち合わせ」という語感に少しわくわくしながら、指定された場所へ。

待ち合わせ場所についたら、2人はもうすでに到着していた。


「とおくはちかい」のときにもやったけど、人とぶらぶら散歩をするのは楽しいし、知っていたはずの町の知らない部分を垣間見ることができる。

いわく「とっておきの通学路」からは、JRの貨物倉庫が両脇に見渡せる。


それから稽古場へ。前回の記事で紹介したワークショップをやってもらう。( https://yaneura-heights.blogspot.com/2018/09/blog-post.html )前回と違うこのはテーマで、「幼い頃の記憶」にした。東京稽古で一緒にやっている佐藤くんと去年の10月に横浜でやったときに扱ったテーマだったりする。
「今日朝から何してたか」というテーマとの違いは記憶の確かさだ。語る出来事を確かに経験した人が目の前にいるとき、あたかも経験したことのように語る側にはある種の緊張感がある。このとき、第三者のフォーカスは、「いかに語るか」という身振りにいく。
「幼い頃の記憶」をやっていて面白いのは、むしろ経験した当人に変化が訪れることだ。記憶は不確かで、正直語っている本人も覚束ないところがある。それがむしろ他者に語られることで、景色が補完されある確かさを手に入れていく。この確かさは信じていいものなのかは、疑う余地があるけれど。つまりに、そんな風に補完されて確からしくなってしまうことが、良いことなのかどうか。
写真の2人は、冷凍庫に何故か大量にあったジンギスカンのことについて話しているんだけど、どちらか一方の記憶を間に放り出し、なんだったか明確な答えもないまま記憶を触り合っている行為(その時間)は、とても良い時間だった。

改めて見ると、なんの写真なのかよくわからない













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