2015年7月15日水曜日

『二十一世紀旗手のためのワークショップ』その②

お待たせしました。第二弾です。
この日は前日参加できなかった三澤くんも含めて、2日目は僕もWSに参加して、身体を結構使いました。汗をかくのがもはや久しぶりでした。

では、はじめます。今日は塚本さんの稽古場レポートを少しだけ書き換えて転載しながら、です。

■ストレッチ
一日目自己紹介にいなかった人の自己紹介をしながら。
一人ひとつストレッチをして皆で形を真似する、というのを回していく。 


■ひざを曲げていく、上に伸びてつま先立ちになるまず何も考えずに動きとしてやってみる。
次に頭を押される、引っ張られるイメージでやってみるとどう違うのか。
→首筋や上半身に力を入れようとした、上半身に意識がいく、…


イメージを付加することで、体の動きには変化が生じます。

片方が、指を引っ張るガイド役。
そのあと、右手の中指が、地面に引っ張られていったら、身体はどうなるのか?ということを全員でやります。
右手が地面に引っ張られていくと、それにつられてほかの身体の部位も動きます。だんだん地面に近づいてくると、ほかの身体の部位に負荷がかかってきて、『地面に引っ張られる』というイメージが薄まってしまう。
そこで、2人1組で、一方が指先を引っ張って、この感覚のガイドとなってあげる。

『指が地面についてからも、イメージで引っ張り続けてください』
そこからどうなるのか?
そのイメージを、具体的にどういう動きとして置き換えるのか?
『地面についたところから死んでいくイメージ』といった意見が出ました。




右腕が引っ張られていきます。

■手が引っ張られる
何者かに引っ張られて歩かされるイメージで動く。一定方向に、ただし人や壁にぶつかるときは方向転換する。



→方向転換するときにイメージが切れやすい。
身体から引っ張る力が見える人は、腰や足が不安定な状態を保っている。





方向転換
■いろんな方向に引っ張られて振り回される。

一人ずつ舞台に立って、場が死んできたら他の人が入ってバトンタッチ。
→皆なかなか助けに行かない。死ぬ前に入って交代しないと場の鮮度は保てない。


どういう風にイメージを持続させるか、持続しないと、見ている側も飽きてくる。そこには相関関係がある。


磯島さんも舞台へ。

急いで交代!



場が死ぬ、というよりも、舞台上の人が倒れて動かなくなったら交代の契機、みたいになってしまった部分がいくらかありました。

■倒れる
円になり、全体に意識を配って、美味しいタイミングで倒れる。誰かが倒れ始めたら倒れて立ち上がるまでその人を見る。

→倒れることを、見る側もやる側もわかっている。“待ち”になると面白くなくなる。
期待を裏切るタイミングや倒れ方を探る。必ずしも倒れる必要はない。





誰かが倒れるときは、それを見る。



 磯島さんから、「『倒れる』といったけれど、その倒れる、といったルールをどう解釈するかは受けて次第」 という指示がでます。


→倒れては立ち上がりそのまま倒れるを繰り返す。/他の人が立ちあがる前に倒れる。/部屋の隅に移動して倒れる。/定期的に倒れる人がいる、それに合わせて倒れる。/



→ルールを破るのは(見ている観客の)期待を裏切ることができる、それはルールがあってこそ。
倒れるという事象を大事に使いながら、バタバタと勢いに乗る瞬間も美味しい。さじ加減が大事。


ルール破りが常態化すると、ある種『麻痺』してしまい、ルール破りの面白さがなくなってしまう。
 




■会話
WS用のテキスト、2人ないし3人のシーンをただ読んでみる。
以降、これに要素を加えていく。




まずは本読み。



磯島さんWS以外でも、使用しているテキスト(二十一世紀旗手からの抜粋です。)を用いてのワークショップに入ります。
配役は希望制で、進めていきます。

少し繰り返した後、磯島さんによる様々な操作が入ってゆきます





山澤さん(写真右)は、テキストにはいない人物。
・テキストには書かれていない数人を登場させ、会話を邪魔する。(横切る/話しかける/…)
→タイミングを狙うこと


テキストにはいない人物が、いることで、そして彼を意識することで、テキストに新たな意味が生まれます。




左から、加藤、村岡、松浦、三澤。右二人が会話をするはずです。


 邪魔することで、会話は停滞します。
舞台においしい邪魔と、そうでない邪魔があります。それを意識するとどうなるだろうか?


誰がどういう関係をもっているのか最早わかんなく見えますね。

 ・さらに会話者自身もアクシデントにより会話を滞らせる
笑う/くしゃみ/倒れる/虫をつぶす/言葉を繰り返す/おなかが痛くなる/…


参加者から様々なアイディアが出てきます。




→(邪魔を利用して場面を立ち上げると)コメディ(笑えるムード)になる傾向。
邪魔要員と関係を作ることに頼りがちで、脈略のないアクションが出づらい。

磯島さん『沢山なにかが起きていたが大きく(物語の脈絡から)脱線はしないのはなぜ?
 


会話を担当するのは塚本、村岡、加藤の3名。左から三番目の佐藤は邪魔役。

会話を滞らせる、ことで舞台上に生じていた何か。何かは、なんでもいいはずなのに、いつの間にかテキストにからめ捕られている。
邪魔の基準は、テキストにとっておいしいものであるかどうか、になりそうになる。
たとえば、突然舞台上で倒れたりとか、しなくなる。(さっきの『倒れる』の時にはしていたことなのに。)

当たり前のことかもしれませんが、テキストが大きな下地を作ってしまっている。
俳優たちも『そこから逸脱しようということは考えなかった』とのこと。

テキストとして面白いことはたくさん起こります。会話する3人が、上手側の松浦、山澤(彼らは立っているだけ、というディレクションがついています。)のそばで会話することで、彼らの役割が、動いていないのに変容する。同じ空間にいるものであっても、直接的にかかわるのか、間接的にかかわるのかで、バラバラの位相・レイヤーにいる人物たちが重層的に交わりあう、そういった状況はできうる。
けれども、それは『テキスト』という大きな下地の上での関係なんだなあ、と思いました。

ていうか、ふつう演劇ってそうじゃん、って思っていました。少なくとも僕がよくやってる「演劇」は、そう。 そこに別段疑問を持っていなかったので、磯島さんの疑問はかなり衝撃的でした。
脈絡から脱線するわけないじゃん。という感覚。

テキストに従順でありすぎることで、舞台上で起きていることを見落としてしまう・・・
その罠の根底にはこういう感覚が潜んでいるのかもしれない、んでしょうか。
『言葉と身体の対等な関係』とは、じゃあいったいなんだろう。
この疑問に、もう一度立ち戻ることになります。

最後に、退館時間が迫る中、片づけをしながら、自分の覚えたセリフを用いて日常会話を俳優は行っていました。もちろん、ちぐはぐになる部分もあるのですが、やり取りが全く予想できない分、俳優自体は新鮮さを持ってやり取りしていたと思います。

その新鮮さと、観客が見る新鮮さ・スリルみたいなものは、相関関係にある、あるはずだ。

舞台上で起きることがすべてだと、演劇をよくやっていると思うことで、いろんな人が口酸っぱくいっていることでもある。その「すべて」の『前提』をどこに置くかによって、気づかなかったことに気が付くことができるのだ、と思いました。


と、この2日間の経験を血肉にし、より良い飛翔ができることを、肝に銘じつつ、『二十一世紀旗手のためのワークショップ』のまとめがおわりです。

読んでいただきありがとうございました。