2016年2月7日日曜日

3F『再開』稽古記録 2/5

2月5日から屋根裏ハイツ3F『再開』の稽古が始まりました。この公演では、稽古の様子を毎回記録していきます。

記録は
・稽古開始時にくじであたりを引いた人が担当する
・そのため、連続で同じ人が担当するかもしれないし、一回も書かない人もいるかもしれない
・締切は次の稽古まで
というルールでつけてゆきます。

初回は松井歩があたりを引きました。よろしくお願いします。


2/5 19:00-22:00 sutudio+1 中村、塚本、村岡、加藤、松井
記録:松井

最初の稽古。ビラ置きで遅れている演出を待つ間、はなしながらストレッチをする。演出がきてから、題名が『再開』であることが発表され、その後「相手の話を再現する」WSをした。
このワークは屋根裏ハイツではたびたびおこなわれていて、

ひとりひとつ、短いエピソードを紹介する
→相手が語ったエピソードを、”自分の話”として別の誰かに語る

基本的には、上記のサイクルを一つのエピソードを全員が語り終えるまで続ける。今回は俳優として参加している村岡・加藤・松井から出てきた3つのエピソードを3人でお互いに向かって話した。


エピソードごとの語り手と聞き手の組み合わせ表

僕はこのワークを、相手から受け取ったイメージを再現する、というものだと考えています。つまり、そのエピソードを紹介されるときに、紹介する人が体験した、言葉以前の情景・イメージを、その人の語りから読み取って、自分の中に再現して出力してみる。言語→イメージ→言語の往復の練習のような。

だけど実際にやってみるととても難しくて、
・話の流れを思いだすことに集中してしまって、自分の話として語れない(→イメージが飛んでしまう)
・逆にこなれてくると、語りが段取り的になり、自然さが損なわれる
・オリジナルから数えて二人目に語る人は、オリジナルと一人目の語りをどちらも聞いているので、それらのイメージが混ざってやりにくい

今回の公演の稽古では「聞く身体」というのが、一つテーマになっていて、今までこのワークをやった時はどちらかというと、どうしたら語れるか、ということを考えていたけど、今回は、どう聞くと相手は語れるのか、というのを中心に試行していると感じた。
すべてのエピソードで一周したところで、主に2つの話がでた。

・あいづち
オリジナルの話を聞いている時、無意識にあいづちをうったりして相手の語りに反応しているが、コピーされた語りを聞いている時は、内容を知っているので自然にあいづちが出てこない
→コピーされた語りの際も、聞き手が意識してあいづちや反応をした方が語りやすいのか?
→タイミングや強さをミスると語り手は話しづらくなる?

・第3者の存在
今回は3人でワークをしたが、語り手・聞き手でない人は舞台側の適当なところに立って語り手・聞き手を見ている、という状況だった。この、3人目の存在は、語り手にどんな影響を与えるのか?
→存在が規定されていないと、観客から見ると無意味
→語り手と同じレイヤーにいないとすると、語り手は3人目を完全に無視できるのか?

次に、少し付け足して、エピソードを話し終えたら、そのエピソードに関して、聞き手が一つ質問をすることにした。次のサイクルからはその質問とそれに対する回答もコピーすることに。

最初に質問した時のライブ感みたいなものは、コピーすると消えてしまう。しかし、聞き手だった人が、質問をするために発語する瞬間の、語り手と聞き手が入れ替わる緊張感のようなものはコピーされて再現したものの中にもあった気がした。
質問に答えるのはそのエピソードの持ち主というわけではないので、回答はその時語った人のねつ造になる。それをコピーして話しているのだから、もはや完全な虚構を繰り返し再現しているのはなんだかおもしろかった。

最後に、3つのエピソードのうちどれか一つを聞き手ではなく、観客席に向かって話した。

客席に向かって語るのは、聞き手に語るよりも格段に難しかった。どこをみて話せばいいかわからないし、総体としての観客の反応は、一人の人の反応よりとても薄かった。ついつい反応してくれる客のほうに向かって話していた。
このことを考えると、間違いなく聞き手がどういう態度でいるか、というのは語り手の語りに影響を及ぼすのだと思う。観客に、よき聞き手であってもらうにはどうしたらよいのだろう…。もしくは、ある種緊張した観客の前でも良い語りができるような環境というのはどんなものなのだろう。

演出助手塚本のメモ


稽古後にみんなでラーメンを食べながら、稽古の振り返りと、西和賀に行く前に確認しておくことを話し合った。とてもおいしかった!
すごく久し振りに俳優として稽古したからか、単にいい稽古だったのか、やってて楽しかったです。西和賀に行くのが待ち遠しいです。