3F『再開』西和賀滞在記録 2/22

加藤、中村、村岡
記録:村岡
西和賀滞在8日目

また回って来てしまいました。村岡です。
前回は長くなってしまったので要所を押さえつつ簡潔に書きたいです。
しかし普段の会話すら簡潔に話せないのでそれは難しいだろうとも思っています。

10:30~17:00
一日置いての稽古。
今日明日は松井がいないので加藤と村岡2人の稽古。
最初にお互いマッサージをしあい、ストレッチ、筋トレ、発声を行った。
筋トレを久しくさぼっていた村岡はこの時点で大分疲弊している

そのあとは、中村が複数枚書いた指令の書かれているくじを引いて、それを遂行しつつ持ちネタのテキストを語るという稽古をした。
最初は加藤が
「言葉を映している(投影している)という状態で語る」
というくじを引いた。
こうなった

その次は「聞き手をおんぶする」(←多分)
というくじを引いた。
かなり視覚的には面白そうなことになっていたが、実際「語り」という面は完全に忘れ去られてしまっていた。

村岡は、
「20年前に戻ったとして」
大分苦戦していた
「30分かけて語る」
という二つのくじを引いた。
30分かけて語った方は、完全に自分の想像の世界を発散することに挑戦したが、その結果起こったことは、観客を危険なポジションにさらす一方、語り手である当人は全くの安全圏に落ち着いてしまったところがあった。
これはこの日の夜に見たDVD(のちに記載)で白石加代子が語っていた、「自分が楽をしてしまうと、お客様も楽してしまう」ということと関係してくると思っていて、自分が楽しているくせにお客様をきつい状況に立たせるということは非常にひどいことだと思った。

どちらにしろ、「語り」という点で言えば、まったくそれは意識されていなかった。

さらに加藤はもう一つの持ちネタを使って
「自分がカメラだとしてやる」←多分
というお題をやった。

今日は小堀さんがずっとホールにいて、作業をされていたが、稽古終わりに稽古に対するフィードバックをしてくださった。
本当に長めの合宿参加できてよかったなあと思う。

稽古のある日は基本的に毎晩フィードバックの時間を設けているのだが、
今日の稽古に関してあがった課題として、

・稽古に当たる際に、(ワークを行う際に)目的を共有したうえで始める方が良い。
→目的が共有されていないと俳優の行動にねらいがでないため稽古をしてもとりとめがなくなる。

・語り手の喪失という部分が今回の作品にはキーとなっているようだ。その喪失という体験をよりショッキングに、大きな出来事にするにはその語り手の話(種)が強くならなくてはばない

・語り継ぐということは、ただ内容を引き継ぐというだけではない。

などが出た。
ちなみに、このフィードバックをする前に、野村萬斎が世田谷パブリックシアターで行っている『MANSAI解体新書』ちう現代芸術の様々な分野を解体するという企画のDVDを見た。
白石加代子がゲストに来て、「俳優(わざをぎ)」をテーマにトークされていた。
このDVDを見て、感想も言い合って、それから稽古の振り返りをした。
白石加代子は足の裏の感覚を大事にしていた。”上虚下実”というような、下半身にいかに力を蓄えるかを大切にしているようだった。

俳優としての土台はどう考えても必要である。
中村の作品では「そのまま」の状態で立ってという言葉が良く出てくるが、、そのまま立っても耐えうる身体を持っているのかというところで、今の状況で「そのまま」立つということはなかなか難しい、なんならできないのではないかと思うことがある。
それでもついつい今の「そのまま」を舞台にあげてしまうものだから、だから「俳優が弱い」と思われてしまうところがあるのではと思う。
だから、「そのまま」の状況で俳優としての土台ができていればいいのだろうなあ、と思っている。
中村の作品こそ、強い俳優が必要だと思う。



日付が変わって今日から演出助手の塚本が来る。
とても待ちわびていたので会えるのが楽しみで仕方がない。
今男性陣はチェルフィッチュの『3月の五日間』を見ている。

今日も稽古です。

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