3F『再開』西和賀滞在記録 2/18
2/18 中村、村岡、加藤、松井
記録:加藤
10:00〜17:00
今日は、新しい昨日配られた新しいテキストを覚え、新しい”語りの種”を作っていく稽古だった。
松井、加藤、村岡の順番で、演出と個別稽古を行い、自分の番じゃないときをテキストを覚える時間として使っていた。
ぼくは自分のテキストを覚えながら松井の稽古する様子をみていた。
昨日と同様に、舞台上に一人たち、「けむくじゃらの兵隊」の話をする。
セリフ覚えをしていたので途中から見始めたのだが、演出がダメだしで「バイオハザードもっと早く入れて」「沸騰するムックのイメージが弱い」などと言っている。
「けむくじゃらの兵隊」の話の中に、バイオハザードやムックなどというワードは出てこない。どうやら、松井がテキストの中の怖いと思った部分でバイオハザードを連想したらしく、そのイメージをその部分を話す時にバイオハザードの映像を想像しながら話す。という指示らしかった。そうすることで、語りに、「怖い」という実感や説得が生まれるのではないか、という試みだ。
次に僕の番がきて、今度は「ため池の魚」の話をする。
いちど語り終えて演出から「ここはどんなイメージ?」という風に細かく質問される。
「魚の傷口からとてつもない量の血が流れた」というシーンで僕は「イカがスミを吹き出す様子」を連想した。そこで「血が流れる」イメージをするのではなく、「イカがスミを吹き出す」映像を想像しながらその部分を話すという指示がでた。見たことのない「魚が大量の血を流す」のを想像するのではなく、観たことがあって想像しやすい「イカスミ」の映像をイメージするのだ。実際話している言葉とイメージしている映像が違っていても、強度のあるイメージができていれば、それによってよいしぐさや、話すニュアンスなどが生まれるんじゃないか、ということだった。
「イカスミ」のほかにも「20世紀少年ののっぺらぼう」や「角質の拡大写真」というイメージを語りをしている時にイメージとして挿入することにした。
しかし、それを踏まえて話をしようと試みるが、覚えたはずのテキストが出てこず、かなりつっかかってしまう。なんどトライしてもなかなか次の言葉が出てこない。直接関係のないイメージを挿入して文脈が混乱しているのか、単に覚え方が甘いのか。1時間半ぐらい語りを続けていたから疲れているのもあると思い、次の村岡にバトンタッチして、少し休むことにした。
休みながら村岡の稽古を見ていたが、村岡が「今日のテキスト全然覚えられない」といっていた。なんだかスランプに陥っているような様子で、最初はテキストを持ちながら話すなどしていたが、なかなかうまくいかない感じだった。昨日やったテキストと量は同じくらいで、覚える時間も同じくらいだったから、条件は一緒のはずだから、覚えられないことに村岡はとてもショックを受けていた。
今日は、新しい昨日配られた新しいテキストを覚え、新しい”語りの種”を作っていく稽古だった。
松井、加藤、村岡の順番で、演出と個別稽古を行い、自分の番じゃないときをテキストを覚える時間として使っていた。
ぼくは自分のテキストを覚えながら松井の稽古する様子をみていた。
昨日と同様に、舞台上に一人たち、「けむくじゃらの兵隊」の話をする。
セリフ覚えをしていたので途中から見始めたのだが、演出がダメだしで「バイオハザードもっと早く入れて」「沸騰するムックのイメージが弱い」などと言っている。
「けむくじゃらの兵隊」の話の中に、バイオハザードやムックなどというワードは出てこない。どうやら、松井がテキストの中の怖いと思った部分でバイオハザードを連想したらしく、そのイメージをその部分を話す時にバイオハザードの映像を想像しながら話す。という指示らしかった。そうすることで、語りに、「怖い」という実感や説得が生まれるのではないか、という試みだ。
次に僕の番がきて、今度は「ため池の魚」の話をする。
いちど語り終えて演出から「ここはどんなイメージ?」という風に細かく質問される。
「魚の傷口からとてつもない量の血が流れた」というシーンで僕は「イカがスミを吹き出す様子」を連想した。そこで「血が流れる」イメージをするのではなく、「イカがスミを吹き出す」映像を想像しながらその部分を話すという指示がでた。見たことのない「魚が大量の血を流す」のを想像するのではなく、観たことがあって想像しやすい「イカスミ」の映像をイメージするのだ。実際話している言葉とイメージしている映像が違っていても、強度のあるイメージができていれば、それによってよいしぐさや、話すニュアンスなどが生まれるんじゃないか、ということだった。
「イカスミ」のほかにも「20世紀少年ののっぺらぼう」や「角質の拡大写真」というイメージを語りをしている時にイメージとして挿入することにした。
しかし、それを踏まえて話をしようと試みるが、覚えたはずのテキストが出てこず、かなりつっかかってしまう。なんどトライしてもなかなか次の言葉が出てこない。直接関係のないイメージを挿入して文脈が混乱しているのか、単に覚え方が甘いのか。1時間半ぐらい語りを続けていたから疲れているのもあると思い、次の村岡にバトンタッチして、少し休むことにした。
休みながら村岡の稽古を見ていたが、村岡が「今日のテキスト全然覚えられない」といっていた。なんだかスランプに陥っているような様子で、最初はテキストを持ちながら話すなどしていたが、なかなかうまくいかない感じだった。昨日やったテキストと量は同じくらいで、覚える時間も同じくらいだったから、条件は一緒のはずだから、覚えられないことに村岡はとてもショックを受けていた。
そしてまた、松井の稽古に戻ったのだが、なんだか松井も調子が悪かった。というか先ほどの僕と同じ状態になっているように思えて、一回目の時はスラスラ話せていたのに、時間をあけて、もう一度臨んだら、なんだかぎこちなくなっていて、次の文がなかなか出てこないという感じだった。トライすればするほどドツボにはまっていく感じでうまくいかない。
この日は役者三人ともテキストが覚えられない状態になってしまった。なんということだ。
気分をかえて僕の話を松井に向かって話してみる、精神的にぼろぼろの状態でなんとか話し終え、松井の感想をきくと「文脈がめちゃめちゃになっている感じがする」ということだった。
松井自身も同じような状態であると感じているらしく、ふたりで少し話した。
「覚え方があまりよくないのでは、フラットな覚え方ではなく、語句が正確でなくてもよいから文脈を頭にいれるような覚え方がいいのか」
「昨日の語りはそれでうまくいっていた部分もあった、口語調や伝聞調ではなすとか」
「テキストによって覚え方を変える必要があるのか」
などと意見を交わした。セリフ覚えという初歩的なところで躓いて、僕も村岡と同じくショックを受けていた。
迷宮入りし4人で話していたら森さんから「俳優としてセリフを演じるのではなく、 語り手として話を聞かせる姿勢で臨んだらいいのではないか」というアドバイス。普段のお芝居の稽古では演出の演出の指示に対応できるように、セリフ覚えの段階ではあまり感情を作りこみすぎないで、単純に文だけで覚えたりする。しかし民話などの場合は話し手から受け取ったお話の雰囲気だとかイメージとかを伝えたいという思いが強いように思う。だからテキストを覚えるときもそのお話のどこが一番の盛り上がりなのかどんな言い方なのか感情なのかを自分自身で作りこんでみる。紙芝居や読み聞かせに近いのではないか、ということだ。
疲弊した三人も解決の糸口がつかめたような気がする。とりあえずやってみるのだ。
西和賀に来てからなんだかんだゆっくりできていないので、本日ははやめに旅館に帰ってご飯をたべて休もう。ということで本日の稽古はおしまい。
今日の夕飯は旅館のお手伝い菅原ママのカレーライス。食後にはぼくがチャイをいれてみんなでのんだ、あったまるねえ。
写真はチャイではなくコーヒー
舞台から客席の眺め